時の継続と変化

強迫がまあまあ人生最高潮で、夏の暑さにもやられ、やることも山積みでネガティブ感情を積み上げてはため息で窒息しそうになっている。
しかし俺は、週に1度は飲みに行ったり人と話したり何かしら接触(強迫なので直に接触はほぼない)の機会を作るように心がけている。
昨日、小学校の時からの幼馴染5人が久々に集結した。
DT(ドンタッチミー)、B、大食漢、酒乱、棒、特に棒はみんな15年ぶりか、大食漢は6年ぶりぐらいか、Bと酒乱は年1・2回は会っている。
子供の頃からの仲間なので当時のままなのは同じで、変わってはないが、DTとB以外は家庭があって子供も多いやつは3人いてほぼみんな巣立っている。不思議なのは全員、趣味嗜好が違うw 普通ならバンドをするなどの共通のものがあってと言うのはあるが、ここまでそれぞれ違うのも珍しいと思うし、暗黙で各自をリスペクトしてるから、感覚で繋がっているのだろう。
昔がどうだったかは、特に優等生ではないのでそこら辺のありきたりな奴らという感じだ。例えば、盗んだバイクで走り出しても行き先はちゃんとわかっているという狡猾さを持ち合わせているという感じだw
そいつらの子供たちも幼い頃は知ってるが、今は立派に就職したり、我々は誰も大学は行っていないが子供が大学に行くなどと時の流れを感じたw
そのうち孫ができる奴もいそうだ、とんでもないエピソードの派手なデキ婚話などで話題を賑わしてほしいw w 
その中で強迫の話だが、当然そいつらは俺が強迫であることは知らない。ただBには第一期強迫期に話したことがある。 たまたまBはその時期に鬱病を疾患している彼女と付き合っていた時期も重なり話した面もあった。ので俺がおかしいことは知っている。
実は一昨年は今回より俺は強迫が出ていたという表現が正しいかどうか、、、とにかく人に触れるのが本当に嫌だった。そいつらにすら疑心暗鬼というか、ちょっと引けてる部分があった。しかし今、俺は山積みの問題で下手したら毎日若干きしねんのような、やけくそ感もあったり苦し紛れな日々を送っていて強迫もまあまあMAXなはずだが、そいつらには全く平気なのだ。うまく説明できない(不潔強迫の人はおそらくわかる)のだが、会話中も椅子を共有や手や肩が当たるそんな当たり前なことが平気なのだ。自分でも驚いて、「ん?あ、当たり前か」と、もちろんそいつらの車に乗り込み、いろんなところが色々当たる。全然平気だ。人として当たり前のことが平気でできたことにちょっと感動した。(そこに感動なんかいw w)
おそらく心の中のネガティブと必ずしも強迫は直結していない。多くは環境なのかなと思った。気心と安堵感というものの大切さもわかった。
俺は少し離れたとこに住んでるので、今度泊りに行くわと酒乱が舵を取るが、まんざらそいつらなら嫌ではないかなと考えたけど、我が家の強迫スポットであいつらを汚したくないし広めてほしくないという感覚が出てきたので、群れの中でも狡猾度の高い俺は、あっさり強迫を告げずにスルーすることにしたw w
やっぱり治ってないw けど貴重な経験をした。
盗んだバイクで行き先はわかっていても、俺の強迫の出口はまだ全然見えない。しかし、平気な面がたくさんまだあったことがわかったことで俺は少し新しい気持ちになった。さてと、手洗って飯食うか。


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