おっちゃんの中華

約17年、食べに行っていた中華屋さんが閉業した。
掛け持ちバイト時代に、夕方〜夜のバイトが終わってチャリンコで帰る時に王将の斜め向かいにあるその店がずっと気になっていた。
ある時、ふと行ってみた。
最初は何を食べたか、卵焼き定食か、餃子定食か。
安くて量が多くて、味は美味しいが突出して美味しいという印象はなかったが、明るい夫婦2人で常連さんに囲まれていつも営業していた。
それから頻繁に通うようになり、俺はいつの日かとり天の定食大、焼き飯大、玉子スープをローテするようになった。
たまに帰りに持ち帰りをおまけしてくれたり、飯大盛りは並盛りのままでいつもまけてくれた。
ある時、おばちゃんが病気になって入院して、おっちゃんは看病しながら営業していた。近所のおばちゃんがバイトに来てそれでも店は賑わっていた。
しかし、おばちゃんはなくなってしまった。もう12年以上前の話で、
今でもおばちゃんの甲高い声で注文受ける姿を覚えている。
おっちゃんの心中を思うと、相当辛かっただろうに、しかし気丈に営業を続けていた。
常連さんは、いつも奥に座る渋い声のおっちゃん、タクシー運転手らしき人、近所のおばちゃん会の人たち、作業着の髭のおっちゃん、このおっちゃんとは俺も話した。
三年前に俺は車で1時間ほどのとこに引っ越したからそこからは、1〜2ヶ月に1回のペースで通っていた。
youtubeで紹介されてから知らんお客さんが増えたと言っていた。問い合わせがあったり、良い意味で新しい空気も入れつつ揺るぎない空間が俺はとてもいごこちが良く好きだった。第2の実家の飯だった。
コロナ渦以降、営業時間も短縮されちょっとずつ変化が出てきた。
おっちゃんの体調で夏場は休業することもあり、本人も高齢の域に入るのでそろそろ引退なのかと、たまに本人も口にしていたので、周りの常連も覚悟はしていただろう。
7月初旬に俺は所用で週に3度ほど、その地に行ったので昼に寄っていた。
がそれが最後になった。最後はとり天定食でも焼き飯でもなく、玉子焼き定食だった。次に休日に来た時にとり天か焼き飯を食おうと思っていたから。
たまに労働中にネットで、食べログを見ては次は何を食べようかと、俺の現実逃避の時間だったメニュー表。けどいつも決まった料理を食べていた。
ふと金曜にネットで検索すると閉業と記されていた。
昨日、夕方行ってみると⚪︎⚪︎年間の感謝とお客さんたちの活躍を祈る文書が貼られていた。
振り返ってみると連絡先も知らないし、それを前もって知る手段はなかったのだ。しかしいろいろな感情を乗り越えて、それ以上の感謝しかない。
おそらく体調か体力が限界と判断したのだろう。⚪︎⚪︎年間ありがとうとその⚪︎⚪︎年間は本人にしか書けないと思う。だから無事ではあると信じたい。
俺がおそらくこんなに通った店はないし、ありそでない唯一無二の店だと思う。彼女ができたら必ず行く店w でもあり、おっちゃんにパートナーを紹介することも叶わなくなってしまった。
ありきたりな感謝ではない、様々な思いが交錯している。
もう行けないと思うと、悲しいし呆然としてしまうが、今は感謝を伝えたい。ありがとう、本当にありがとう。
2日酔いの残る今、玉子スープがあればどんだけ救われるか。
ここで俺はまだ終わらしたくないから、またおっちゃんの中華については書こうと思う。
おっちゃんは23歳くらいからあの店を自分で立ち上げてやっていた。
本当に尊敬している。
おっちゃん、また書くよ。ありがとう。

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