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ブレイン・マシン・インターフェース、またはある種の収斂進化

『カンデル神経科学 第 2 版』の目次に「ブレイン・マシン・インターフェース」という言葉を見つけた時には,興奮して思わずツイートしてしまった。

日本語版のカンデル神経科学が第1版から第 2 版に改訂されるにあたり,神経科学の進歩に合わせて内容が変更され,章立ての再編がなされた。その結果,新たに追加された第 39 章のタイトルが,「ブレイン・マシン・インターフェース(長いのでこの先は BMI と表記する)」だ。SF らしさ全開の字面が堂々と教科書にあるのを見るたびに,これは本当かと疑いたくなる。知らぬ間に元いたのとは異なる世界に移動してしまったような不思議な気分と高揚感を抱いてしまうのだ。

BMI は,「脳と機械の接続」といった意味合いで,脳の電気信号を読み取ったり,または何かしらの情報を電気信号にして脳に伝える技術のことを指している。カンデル神経科学によると,最も古い BMI は人工内耳だそうだ。音を電気信号に変え,それを聴覚を司る神経に伝えることによって,失われた聴覚を補う。難聴の方の全てに使えるわけではないが,適合すれば音がある程度聞こえるようになる。この例を見ると,BMI はれっきとした医療機器だ。BMI の全てが医療機器ではないけれど,今後,この技術を使った医療機器が登場してくると思う。特に最近は人工内耳とは逆に,脳の電気信号を読み取り,それを何かしらの形でアウトプットする技術が話題になっている。思い浮かべた言葉をコンピュータディスプレイ上に表示したり,意思だけでロボットの腕を動かしたりできるらしい。いずれにしても,脳の中にある電気信号と機械とを接続するアイデアに基づいている。

そもそも脳とコンピュータは,どちらも電気信号で動いている。これは,よく考えると不思議なことだ。ご存じの通り,身の回りの機械はほとんど全てが電気信号によって制御されている。エアコンは,室温を感知して温度をコントロールする機械で,その動作を制御しているのは内部にあるコンピュータだ。コンピュータが機械を制御するように,脳も神経細胞の電気的な活動を使って,五感から得た情報を処理し体に指令を出す。電気信号によって対象物を制御しているのは,脳もコンピュータも同じなのだ。(神経細胞は化学的な仕組みも使っていますが話が複雑になるので割愛します)

とはいえ,脳とコンピュータは同じではない。まず第一に使っている材料が違う。コンピュータは無機物で,脳は有機物でできている。だから,と素直に言えるほど話は単純ではないのだが,コンピュータより脳の方が脆く不安定だ。しかし視点を変えれば,柔軟で対応力が高いともいえる。脳は,状況に合わせて神経回路をつなぎ変えられるし,脳の仕組み自体を変化させることもできる。仕組みを変化させるというのはつまり進化のことだと考えてもらって良い。進化するのは脳にかぎった話ではなく,生物自体が,長い時間の中でゲノムが変化することにより,その形や機能を変えていく。余談だが,進化は何かの意図や意思があって起こるものではない。もともと不安定なものが偶然変わってしまうことを利用して生物は進化する。生物用語の「進化」に「進歩」の意味は本来含まれていない。ただ,変わってしまったものが環境により適応すれば生き残るだけだ。

不安定でフラフラした形式でこの世界に存在する生物(人間)の脳が,機械と同じく電気信号を利用しているのは,一見,不思議なようにも,そして同時に,必然のようにも思える。機械も,環境に適合,つまり人類にとって最も便利なものが生き残ったのだと考えれば辻褄は合う。産業革命以降の科学技術の進歩の中で,最初から,電気信号を使えば便利だと分かっていたわけではないはずだ。多くの科学者や技術者が試行錯誤しながら便利なものを作ろうとした結果,電気を使うのが最良だという結論に至ったのだろう。電気信号が,情報を処理するに最も適した物理的性質を持っていることの証明なのかもしれない,少なくとも地球上においては。もちろんこれは単なる妄想だけれど,それでも今のところ,もっと適したものが出てくるとは想像しづらい。

話が脇に逸れてしまった。ブレイン・マシン・インターフェースの話題に戻ろう。

つまり,コンピュータと脳は同じ電気信号を利用するにしても,材料がまったくちがうので,ただ接続するといっても大変なのだ。物理的につなぐ難しさが存在するのは前提として,それにも増して大きな問題がある。それは使用する符号の違いだ。乱暴な例えを挙げるのを許していただくならば,同じ言葉でも日本語と英語が全く異なるようなもの,と考えてほしい。全く違う文字や単語,文法を,互いが何とか理解できるように翻訳する必要がある。

それこそ,言語同士の翻訳について機械学習が使用されているように,脳の電気信号も機械学習を使って解読されている。言語AIを作るには,同じ意味の文章を英語と日本語とで大量に用意する。それらを比較して間にあるつながりみたいなものを勝手に見つけてくれるのが,ディープラーニングを始めとする最近の機械学習のすごいところだ。同じように,例えば,ある映像を見せた時に起こった脳の電気信号を記録してそれらを比較させれば,電気信号の「意味」がわかるようになる。そうした接続を司る部分の技術が進歩したことが昨今の BMI の盛り上がりの一因だと思う。

長い進化の結果として生まれた脳と,人間が作り出したコンピュータは,偶然か必然か同じ電気信号を利用していた。最近の科学の進歩によってついに,コンピュータは脳の「言葉」を理解できるようになった。

そう考えると,少しだけロマンチックな話ではないだろうか。


2022.10.31  牧野 曜(twitter: @yoh0702)