ドリルとiPad(未完成)

例えば iPad が欲しいという人がいたときに、その人は iPad という「デバイスそのもの」が欲しいのではなく、iPad を所有し使用することによる便益を得たいわけである。

レヴィットの言う「ドリルではなく穴を開けたい」というのは、ジョブ理論同様、客側に明確な目的があるように思える。また、その使用は予めメーカーによって想定された使用にのっとって客が完結する。

しかし、上の iPad の例は「iPadを所有・使用することによる便益」を得ることを支援するアプリなどの提供者の存在がある。そしてどれを使うかは客=使用者側の文脈によって変わる。

ドリルは客に使われることによってその価値(使用価値)が形成されるが、iPadの場合は客が自らの文脈に応じた選択と使い方をすることによって価値が形成される。その時、客はiPadを使ってるのではなく、iPadを通じて得られる便益に価値を見出している(文脈価値)。

どちらにおいても、企業は価値の提案者であり、その価値は使い手がいることによって創造される。しかし、ファンクショナルな使用に限定的になるドリルと、コンサマトリーな使用も含まれるだろう iPad においては、価値創造における客側の文脈依存の差は大きいように思える。

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