ブランデッドエンタテイメントはどのように作ればいいのか?に頭を使った33歳の頃〜WebCINEMA TRUNK (2003) の話(追記あり)
先日、30代のコンテンツクリエーションに関わる人と話をしていたときに、自分たちが過去にやってきた”ブランデッドエンタテイメント”・”ブランデッドコンテンツ”について説明をする機会があった。
今30代の人は2000年代初頭の第一次ブランデッドエンタテイメント・ブームの頃はまだ学生時代で、どういった試みが行われていたかは知らない人が多い。面白いことに、僕らがチャレンジしてきたことと同じような、僕らからするとデジャブのようなプロジェクトを最近目にするようになってきている。ただ当時と比べると、映像だったら映像の中だけで完結してしまい、”インターネット”、”デジタル”、”インタラクティブ”といった従来型メディア/プラットフォームでは”できないこと”を活かそうとしたプロジェクトに出会うことは逆に少ない。
こうしたことが起きるのは、僕らのように90年代後半から2000年代初頭にデジタルの世界を掘っていたメンバーが、次の世代に”伝承”をしてこなかったからではないか?と考えている。そしてここ数年、その懸念がますます強まっている。
そこでnote上で自分が過去に関わった仕事を公開し、どのように考えていたかを共有して、今の若い世代にとってなんらかの参考になればうれしい。
まずは2003年に公開した大型のブランデッドエンタテイメント・プロジェクトであった『日産自動車提供 WebCINEMA TRUNK』について。
当時は専用のプレイヤーをダウンロードして視聴してもらったが、そのプレイヤーを公開することは今はできないため、三部構成の映像のみ以下にて。
専用映像プレイヤー(WebCINEMABOXX)を通じて見ると、視聴者は、
1)好きなところで映像を停止させてコメントを入れ、他の視聴者とコメントを共有できるようにした(>ニコニコ動画より早い!)
2)それぞれのエピソードを見終わると、その情報がサーバーに送られ、各エピソードに関連する内容のメールが送られた。また、次エピソードの視聴を促すメールも送られた(>まるでマーケティングオートメーションの挙動!)
3)プレイヤーには他の人を招待するための「チケット」がついてて、それをメールなど経由で友人に送ることができた(>バイラル・マーケティングの試み)
4)(当時はまだまだブロードバンド黎明期だったので)映像プレイヤーはP2Pで映像を配信する仕組みを埋め込んであった(>Napster的な仕組み)
また、映像そのものは、ポストプロダクション段階で映像の切り替わり方にこだわっている。テレビではなくパソコン画面で見ることから、モニターサイズは小さいため、目の動きが小さくなることが想定された。そのため映像の切り替わり方を大げさにすることで、目が画面上の左右上下に動くように編集をし、”目が飽きない”ような映像演出を施した。
以下、東京インタラクティブアドアワードに応募時の資料。日本で初めての動画広告もこのプロジェクトから。
提出資料はこちら(PDF)
下は、WebCINEMA TRUNK のプロジェクトについてどのように考えて実施したか?を当時の勉強会で説明した資料。
当時の記事は下から。
※関係者の方へ、上記資料の公開について何か問題などがあれば、contact(at)sukedachi.jp までご連絡ください。ただし当時の知見を若い世代にも伝えたいという主旨のコンテンツであることを、ご理解いただけると幸いです。
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