見出し画像

「流通の意思決定をしたことない広告屋→学者先生が、広告と流通について語ってるの、斬新で面白いです。」っていう匿名質問が来たので、答えてみました。

peingで、

「流通の意思決定をしたことない広告屋→学者先生が、広告と流通について語ってるの、斬新で面白いです。」

っていう匿名質問が来たので、非常に丁寧に答えてみました。

この手の質問はよくあるので丁寧に答えたいと思います。

1) マーケティングと流通は隣接ないしは内包関係

まず初めに、流通業に自らが身を置いたことはないですが、よく知られるように「マーケティング」を単なる「プロモーション」として捉えず、全体的な企業の経済活動と捉える場合、流通も「マーケティング」の一環として考えられることは、基本の基本である「4Ps」をあげるまでもなく、明らかだと思います。つまり、マーケティングを愚直やっていくと流通対策は必ず入ってきます。

例えば私が過去に携わったプロジェクトで言えば、「フェイスを獲得するために、小売側の担当者にどういった位置づけの商品として扱ってもらうか」「価格の妥当性をどのように認識してもらうか」「販売のチャネルは旧来のチャネルのままでよいか、新たなルートを作るべきか」「新商品における流通面でのボトルネック対策」「消費者への直接流通(今でいうD2C)」などといったトピックを扱って来てますが、どれも起点はマーケティング戦略から。

2) 実務上の経験がないと“語る”ことはできないのか? 

実際にやってないと話すことができないというのは、自らがかかってみた病気しか医者は治療ができないという主張と同じで、「実際の経験からしか適切な意思決定はできない」という誤りです。

例えば、病気の患者は、ある病気に関しての診察を受けるわけですが、医者はその病気の診断をするまでに数々の症例などを自ら対処した経験だけでなく、症例集なども通じて学んで疾病を特定し、適切な治療を提供します。

同様に経営・ビジネスに関してもコンサルタントの役割というのは、自らの経験のみならず、多様な知識やケーススタディの集積によって、適切だと考える処方箋=アドバイスをするというものです。

最終的に“意思決定”を行うのは、患者やクライアント自身です。処方された薬を服用する・処置を受けるということと、コンサルティングやアドバイスを受けることは同じだと考えます。

「“意思決定”をしたことがあるかどうか」が“語ること”について笑われる内容だとしたら、どうして“意思決定”をするにあたって「経験がない人」にアドバイスを求める“意思決定者”がいるのか? ぜひこの点について逆に質問してみたいですね。

3) 最後に

「実務経験がない学者先生が偉そうなことを言ってる」ということを言う人はたまに見かけますが、学者先生というのは世の中の知識や事象をまとめて、そして解釈をしてくれる“外部脳”である、と考えるとそのような悪意を持った考えも薄まるのではないでしょうか?

経験がないと語れない、というのであれば、知識がないと語れない、も同様に成立します。

大事なのは、「経験があるから偉い」、「知識があるから偉い」ではなく、両者は違う職種・職能なのであり、実は社会的に分業された役割なのだと思います。

なので、実務家は学者先生のまとめてることや考えてることを“うまく使え”ばいいのであって、“学者先生が〜”と嘲笑するのであれば、むしろうまくアカデミアの知識を使えないだけなんではないかと思います。もったいない。

ところで。。。。。。私は、広告屋を離れて相当経つ上に、「広告屋から学者先生」になったわけでもなく、そもそも「学者先生」と呼ばれる入口にも辿りつけてないので、質問の一行目からして事実誤認がありますよ、ということを付け加えておきます。

追記)

以下のようなツイートも見かけました。

「シーザーを理解するのにシーザーである必要はない」とは、マックス・ヴェーバーがした言葉ですが、

これは『攻殻機動隊』の劇場版である『イノセンス』において公安9課の荒巻さんが引用した言葉としてもその筋でも有名ですね。

めちゃくちゃシンプルにしてしまうと、人間は他者が行った行為について、それをある程度理解できる・追体験できる、というのがその意味するところなわけですが、実際にその行為を体験していなかったとしたら理解できないと突っぱねてしまうとすると、生理用品や女性用下着の会社には男性社員は不要であるということになってしまいます。

しかし実際には、『生理ちゃん』を描いたのは小山健さんという男性イラストレーターだし、

『パッドマン』として映画化され、「インドの5億人の女性を救った」と言われる、生理用ナプキンを開発して普及させた社会活動家アルナーチャラム・ムルガナンダムも男性です。

自らが直接得た経験だけでなく、他者の行為・経験について想像できることは、社会的な動物である人間が持つ能力だと思います。それゆえに、例えば経営学者のような存在は、その想像のサポートになる理論やケーススタディをまとめる役割をしているのではないかと。そしてそれらの成果を実務家は、自分ひとりの一生だけでは経験できない知見を手に入れることに使えばいいんじゃないかと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?