見出し画像

メディカルイラストレーターグループリーダーのおにくです。
入社20年目になる私の経歴などについてお話します。
「こんな感じのメディカルイラストレーターもいるんだ〜」という一例だと思ってください。


【この記事のまとめ】

●絵を習ってなくてもMIになれる!
●編集と兼業することもある
●そしてそれが「強み」になった!

【幼少期】

小さい頃から母が描いてくれるお姫様をひたすらにマネて描いていました。お手本のほどよくデフォルメされた手が後に友人に酷評されて、指を描くことを覚えます。

中学時代は海外にいたため、日本の漫画などに広く触れる機会が無かったのですが、同級生に週刊少年誌のバトル漫画を見せてもらいつつ、兄と一緒にひたすら竜を倒すRPGゲームや格闘ゲームをやっては漫画を描いていました。
おかげで「筋肉モリモリなことが普通」みたいな世界観の絵になり、お姫様は早々に消えました。

美術の授業ではやることが特に指定されず、学期の始めに「いつまでに何を描く」という目標を自分で決めて、必要に応じて先生が教えてくれる、というスタイルがメインでした。私は当時ハマっていたサッカー漫画の絵をひたすら模写しており、それに先生がアドバイスをしてくれていました。自由すぎる校風。

帰国後の日本の高校には漫研がなかったので、仕方なく文芸部に入部しました。文化祭では自分達で書いた小説やイラスト、顧問の先生の漢詩などを載せた部誌を作っており、ここで初めて台割の作り方と面付を覚えます。
(台割:何ページにどんな内容があるかを書いたもの
 面付:印刷して折るとページ順になるように原稿を配置すること)

当時も引き続き格闘ゲームにハマっていたので、絵がムキムキしていました。


【大学時代】

白衣がかっこよかったから、という理由で生物系の大学に入学。
ようやく憧れの「漫研」に入部することができました。
授業が終わった後は夜まで延々と絵や漫画を描いたり漫画を読んだり麻雀を打ったりしていました。

授業や実験の内容を漫画のネタにし、実験用のシャーレ(培養などに使うお皿)にドラ●もんを描き連ねる日々の中で、初めて「印刷所に本を印刷してもらう」という経験をしました。毎年2回のコミケで部誌を出すため、先輩から教わりながらちゃんとした原稿を作り、入稿をしてできあがった本を見た時の感動は忘れません。
(コミケ:コミックマーケット。日本で最大規模の同人誌即売会)

それからは、個人でもオリジナルや二次創作など、たくさんの同人誌を作っています。

この頃はとあるアドベンチャーゲームにハマっていたのですが、格闘ゲームと同じ会社が作っていたためキャラクターが基本的に筋肉質で、私の絵もゴツめのままでした。時代の流れに乗って、いわゆる「萌え系」の絵柄に手を出してみたりなどもしましたが、あまり実を結びませんでした。


【就職そして転職】

研究職に就きたかったのですが、院卒以外お断りの雰囲気により断念。小さな医療系の出版社に就職して、製薬会社の依頼で学会の速報記事を書いたり、海外の論文を翻訳したり。たまに国内外での学会取材ができたのはいい経験です。
必ず定時で帰れたので、毎日帰宅後にオリジナルのノベルゲームを作って遊んでいました。

2年後、人員削減のために若い方から退職ということになったので、引き続き医療系の出版社がいいなぁと思っていたところに、メディックメディアの「編集者募集」の新聞広告を発見。
編集者志望での応募でしたが、アピールできそうなのが漫画くらいしかなかったので、面接には同人誌を持って行きました。漫画の読み方がわからなかった当時の編集長と社長が「漫画だ〜!」と喜んでいたことを覚えています。

【入社後】

最初は医学生向けの『レビューブック』というまとめ本の改訂作業をする先輩のお手伝いをしました。「本が1冊できるまでを体験できたのでとても良かったです。新たに解剖図を描く必要があったのですが、解剖の描き方もポイントもわからないまま、医学生のアルバイトさんに教えてもらってなんとか描き上げました。

当時描いていた絵。臓器の断面も検査の原理も重要ポイントもわからなかった。
「なんとなく」で描いてはいけない、というのを思い知った出来事。
今でもあの時のOさんの言葉と顔が頭から離れない。

フリー冊子の編集を担当した時は、表紙を外部のデザイナーさんに依頼していました。打ち合わせの際に「デザインで大切な基本のポイント」を教えてもらえたのはとてもラッキーでした。

2年目にようやく自分一人で書籍を担当させてもらったのが『レビューブック・マイナー』という、医学生向けのマイナー科目のまとめ本の新刊です。
(マイナー科目:眼科、耳鼻科などの、内臓系ではない科目)

絵も描かせてもらえるということで、医学生さんと内容を作りつつ新規の図版を大量に描いてデータ化し、監修者との打ち合わせもする、という地獄のような忙しさでしたが、非常に充実していました(余談ですが、この年初めてコミケを欠席しました。校了直前すぎて……)。

イラレを使い慣れていなかったため、複雑な絵はアナログで描いたものをスキャンして「Streamline」というソフトでイラレデータにして、単純な絵だけイラレで描いていた。

3年目頃に『病気がみえる』チームに入れてもらい、本格的にイラストレーターの業務を始めるかと思いきや、今に至るまで、編集とイラストレーターの業務が半々ずつくらいなのでした。

『病気がみえる』の編集作業は、実際に使う学生さんや監修者の先生と一緒に「どうしたらわかりやすい図が作れるか?」を追求できるので、メディカルイラストレーターとしても非常に面白い仕事です。

おかげで、編集者がどういうことを言いたくて原案を作っているのか読者が求めているのはどういう図なのか、全体のスケジュールはどうか、などをしっかり考えて動けるようになっていると思います。
※最近の新人さんは、イラストレーターの仕事に慣れてきた頃に希望によって編集業務にチャレンジする、というながれになることがほとんどです。

【さいごに】

読んでおわかりの通り、ちゃんと絵を勉強したことはなく、ただひたすら趣味で漫画を描いていただけで、たいして上達もしていません。大学でもゆるっと生物学の表面をさらった程度の知識です。なので、MIGのリーダーとはいえ、絵は他のイラストレーター達の方が100億万倍上手ですし、医学生が読む本の内容を作るには知識はまったく足りていません。
私の場合は、画力よりも「汲み取る力」と「漫画的表現力」を主な戦力として、今日もメディカルイラストレーターのお仕事に励んでいます。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?