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【第42回】UKA再考(最高?):5W1Hで整理してみると? -2

阪和第二泉北病院 阪和人工関節センター 総長
格谷義徳 かどや よしのり

私が考える“UKAの5W1H”を再度示しておく。

太字で示したWhy(Whom):利点や適応やHow:手術手技については学会やセミナーでもしばしば取り上げられ,関連書籍でも多くのページ数が費やされている。しかしその内容はと言えば,利点についてはともかく適応に関してはR. Scottらが提唱した古典的なものからの変遷に関する記載に終始している。

私はUKAの適応を語るうえではantero-medial OAの導入という一大事件(?)を踏まえた考察が必要であると思うのだが,その意味付けについては語られることが無い。実際の手技についてもMISであるがゆえの困難さだけではなく「正解がはっきりしていない」事を前提とした論議があるべきだと思うのだが実際はそうはなっていない。
そこで今回はまず歴史的な観点から見たUKAにおける目標アライメントとその変遷についてMobile vs. Fixedと関連させながら考えてみた。その上で日頃あまり取り上げられることのないWho,When,Where と言う術者自身の適性の問題も取り上げてみたい。

今回の話はOxford UKAがもたらした影響と術者側の適応の問題についてである

FixedとMobile UKA- Oxford UKAの衝撃

ここで読者の皆様にいったん画面から目を離してしばし考えて頂きたい。

“UKAの目標アライメントとMobile vs. Fixedはどう関連しているのか?”

という点についてである。これは実はとても大切な問題なのだが学会やセミナー,そして成書でもほとんど触れられない。

アライメントとMobile vs. Fixedはどう関係しているのだろうか

Mobile UKA(Oxford UKA)の導入は,アライメントと軟部組織剥離に関して根本的な変革をもたらした。すなわち

Antero-medial OAという概念に基づいて,正しく選択されたUKA●●●●●●●●●●●においては
① 目標アライメントは存在しない
② 軟部組織剥離は不要(してはいけない)

ことになった(なってしまった)のである。

これは私のような保守的な(?)TKA surgeonにとってはコペルニクス的転回であった。私自身は(そしてそれまでの多くのTKA surgeonは)UKAについてもmechanical alignmentが目標であることに疑いは持たなかったし,何よりも“目標アライメントのない”人工膝関節置換術!!!???など考えたことも無かった。目標アライメントを定め,それを達成するために軟部組織解離を行うことこそがTKAの神髄とされてきた。だから“TKAは軟部組織の手術である”と教えられてきたのだが,Oxford UKAではどうやらそれも根本的に間違いらしいのである。その意味でMobile UKA(Oxford UKA)は私にとってまさに“黒船”であった。これが正しいのなら,

今までわれわれがTKAの適応としてきた症例のなかに
① 目標アライメントはMechanical alignment
② 軟部組織剥離が重要
という金科玉条が通用しない(適用してはいけない●●●●●●●●●)症例が(ある適度の割合で)存在する

ということを認めざるを得なくなる。その意味でわれわれが受けたのは適応としての“antero-medial OAの衝撃”であったのだ。ではこのOxford UKAがもたらした根本的な変革(コペ転)について一つずつ考えてみることにしよう。

Oxford UKAがもたらした根本的な変革① 目標アライメントは存在しない

私がTKAを学び始めたころ(1990年代初頭)にはUKAもTKAと同じくmechanical alignmentを目標として設置されていた。アライメントといえばそれしかないのだから当然であったし,疑いを挟むものもいなかった。ただUKA術後に過矯正になると外側コンパートメントの変性が進行するし,内反が残存すると脛骨コンポーネントの沈下や摩耗が起こるのでアライメントの許容範囲が狭いことは認知されていたし,それが成績の一定しなかった主因でもあった。とはいえ目標アライメントは厳然として存在し,それはUKAでもTKAと同じくmechanical alignmentだったのだ。だから従来のUKAは概念的には“TKAを半分にしたもの”でそれ以上でもそれ以下でもなかったのである。

Oxford UKAの導入以前は,UKAは単にTKAを半分にした物にすぎなかった。

ところが“antero-medial OAに対するUKAでは目標アライメントは存在しなくなった”のである。“ACLが正常に機能していればMCLには拘縮は起こらない”というのがantero-medial OAでの前提だから,伸展位で適正なインサート厚みを選択すれば靱帯緊張度が再現され,アライメントは病前状態,すなわち患者固有のアライメントに戻ることになる。それこそが達成すべきアライメントであり,そしてそれは各人異なるのである。繰り返しになるが,これは“軟部組織解離を行って目標アライメントを再現するのが人工膝関節置換術である”と信じ切ってきた(刷り込まれてきた)われわれには容易に受け入れがたい概念であった。

実際の手術における象徴的な相違点は,TKAではインサートの厚みを変えてもアライメントは変わらないが,UKAでインサート厚を変えるとアライメントが変化する(してしまう)ということである。読者の皆さんはこれを当たり前の事実として認識しているのだろうか? UKAでインサートの厚みを選択することはアライメントを決めることであり,それは貴方が決めているように感じているかもしれないが,実は患者さん(軟部組織エンベロープの状態)が決めているのだ。

UKAでインサート厚を変えるとアライメントが変化する。
これこそがUKAで目標アライメントが無いことの証左でもある。皆さんは意識していただろうか?

私が“UKAではインサート厚を変えるとアライメントが変化してしまうという”事実に気が付いたときは“アッ,そうなんや?!”と思った。かつ軟部組織剥離はしてはいけないというのだから,(適応としてantero-medial OAを選んでいるのなら)自分でコントロールできる部分がほとんど無いことになる。
UKAをしているそこの貴方に,ここで自問自答してみてほしい。貴方の目の前症例は本当にantero-medial OAなのだろうか? それをしっかり確認して確認してUKAを選択しただろうか? 実際はそこまで適応に留意してUKAをしているわけではないという方も実際は多いのではないか。新参Fixed UKA軍団を使用する際には,メーカー側も適応を広げてほしいから,特にこのあたりには触れようとしないので,十分な注意が必要である。

繰り返しになるが大前提として,対象症例がアライメント(つまりantero-medial OA)でなければならない。Oxford UKAの古くからのユーザーである浜口先生が“言い得て妙”な表現をされていたのでそれを紹介すると,“UKAの対象となるのは「お膝様」として尊重すべき膝”ということになるらしい。だから変形が進んだ“膝野郎”は相手にしてはいけない。OA膝を犯罪者に例えるなら,antero-medial OAはまだ十分な良心(美点)が残っていて,適切な更生処置により“真人間”として社会復帰できる状態だといえる。一方,末期OA膝は極悪非道で矯正不能だから,極刑を以て対処せざるをえない(すなわちTKAである)。両者の間には連続した移行(スペクトラム)があることは確かだが,その特性を把握しておくことは,きわめて重要で有意義であろう。この適応と限界を曖昧にしたまま話を進めるから,論議がかみ合わないのである。

Oxford UKAは適応としてのantero-medial OAという境界を明示した。
だからすっきりしているし,潔い。

このantero-medial OAでのアライメントこそ,KAでいうpre-arthriticあるいはnaïveと称されるアライメントそのもの(少なくともきわめて近いもの)である。しかし不思議なことにKAではその適応としてのantero-medial OAが強調されることは(私の知る限り)ほとんど無い。だから本来あるべき適応をはっきりさせないまま,適応をどこまで拡大できるかという奇妙な論議になってしまっている。“適応をブラックボックスにしつつ,そのブラックボックスをどのように拡大するか論議している様子”はある意味滑稽でもあるし,新興宗教の布教を見るようで不気味でさえある。この“適応のゆらぎ”が近年のアライメント論議が混乱して不毛である原因だし,その構図はトピックスでもある新参Fixed UKA軍団についてもまったく同じなのである。

UKAでもアライメントの論議でも“適応をブラックボックスにしつつ,
そのブラックボックスをどのように拡大するか論議している。

Oxford UKAがもたらした根本的な変革② 軟部組織剥離は不要(というよりしてはいけない

旧来“TKAは軟部組織の手術である:TKA is a soft tissue operation”というのが通説であり,このフレーズが多くの講演で“Take Home Message”として使われてきた。匠の技を連想させる言葉でもあり,響きが良いので頻用されたのも頷ける。ところが昨今は様変わりして“私は軟部組織剥離を(ほとんど)しません”というのがトレンディで,自慢げに吹聴されるのである(OMG!)。時代も変わったものである。守旧派の私にしてみれば,“同じ手術をしているのにそこまで変わるか?!”とか“単にエグい症例を手術しなくなったからだろう”という気もして文句の一つも言いたくなるのだが,何か遠吠えしている感は否めない。

もちろん過度の軟部組織解離が手術を難しくする(特に屈曲拘縮症例)ことは私も身をもって経験しているし,骨棘を切除すれば大多数の症例で軟部組織剥離の必要性は限定的であることも事実である。しかしantero-medial OAの概念の導入が“軟部組織剥離”の地位を主人公から悪役へ(?)激変させたことは間違いなかろう。

軟部組織剥離の地位は最近激変して地に落ちたといえるだろう。

Antero-medial OAにおいてはアライメントの目標は病前のアライメントであり,靱帯に拘縮がないのだから,矯正のための軟部組織剥離は必要ではない。というより術野の確保のための剥離以外は禁忌とされる。重要なことなので何度も繰り返しておくが,このことはantero-medial OAに関してのみ正しく,その他に関しては正しいとはいえない(というより正しくない)

UKAの適応と目標アライメント

もう一度論点を整理しておこう。Oxford UKAは理論的にも,実臨床においても一つのカテゴリーを確立した優れた術式である。何よりも彼らは適応としてのantero-medial OAという境界を明示した。だからすっきりしているし,潔い。対照的に“新参”Fixed UKA軍団は適応に関してあえて明確にしていない。その理由はTKAと同じ概念でUKAを考えている既存ユーザーに新しい概念を導入すると適応が制限されてしまうからである。要するに“新参Fixed UKA”はUKAに興味があるがMobileには抵抗のあるユーザーを取り込みたいだけなのだが,本質的な論点を正しく理解できず,その(腹黒い?)意図に気付かない術者側にも大きな責任がある。

俯瞰的に見れば“患者固有のアライメント”の再現と“軟部組織剥離は不要である”というキャッチフレーズにおいて,昨今はやりのアライメント論議もantero-medial OAにおける論議と瓜二つなのである。そして適応をブラックボックスにしつつ,そのブラックボックスをどのように拡大するか論議している”という点でもまったく同じ構図である。

昨今はやりのアライメントに関する論議においても “適応をブラックボックスにしつつ,
そのブラックボックスをどのように拡大するか”が論議されている。

(つづく)


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