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【第44回】UKAのWho,When,Where(術者自身の適性の問題)-2

阪和第二泉北病院 阪和人工関節センター 総長
格谷義徳 かどや よしのり

前稿で取り上げた論文には続編があり,こちらもよく引用される(J Bone Joint Surg Am. 2016; 981-8)。ほぼ同じ母集団を対象としながら,今度はUKAの比率ではなく,“年間手術数:caseload”の影響と言う観点で分析している。ここでよく引用されるのが下図である。

(J Bone Joint Surg Am. 2016 Jan 6;98:1-8.より引用)

UKA年間症例数はRevision Rate(RR)に大きな影響があり,特に10以下でその影響が顕著で30以上でほぼプラトーになる。対照的にTKAでは影響はあるもののその程度ははるかに小さい。
本論文では年間症例数そのものもグラフで示されている(下図)。2,589人の術者うち,UKAを年に一例以上行うのは1,272人と約半数で,それを母集団としたグラフである。
年間一例のみの術者が25%(313/1,272)で大半が10例以下である。そして平均の年間UKA数は5例に過ぎない(5.3±9.3例)。

(J Bone Joint Surg Am. 2016 Jan 6;98:1-8.より引用)

著者らは年間症例数により,low volume(0〜10),medium volume(11〜29),high volume(≧30)に分けて,生存率に及ぼす影響をTKAと比較しながら示している(下図)。確かにLowからMedium,Highと年間UKA症例数が増えると生存率は改善する。しかし虚心坦懐にこのグラフを読めば,“TKAと比較すると生存率は低い“ということは明らかである(論文ではHazard ratioで分析するとhigh volume group(>30例/年)はTKAとcomparableであると結論しているがちょっと苦しい)。

(J Bone Joint Surg Am. 2016 Jan 6;98:1-8.より引用)

総合的に(そして常識的に)考えると,上述のデータを元にしてUKAを推奨するのは至難の業だと思う。もちろん彼らの主張するような“revision threshold:UKAは成績が良くても再手術されやすい”という問題があることは事実であろう。しかし,膝の中に変えてない部分がある”という事実が再手術の動機になるというのは,“心理学の問題”であり,“人間の本性”に基づく“感情”なのである。そしてわれわれは“そのような術者や患者の感情・心理(迷い,不安感)もすべてひっくるめてUKAという術式である”と認識する必要がある。恐れや不安という根源的な感情はトレーニングにより容易に克服できるものではない。その精神的強靱さを経験の浅い術者にも求めるのは酷というものであろう。

グラフのトリック “数”と“率”のトリック

私が,前掲の2論文を元にUKAを推奨せよといわれたら正直途方に暮れるだろう。しかしOxford groupはこれらのデータを論文にして,長年にわたり広い層の術者にUKAを理論的に(?)推奨し続けてきたのだから,別の意味でやっぱりすごい・・・と思う。世界中が“Oxford”という烙印と“debate力”に圧倒されてきたような気もしている。昔Freemanの所にきていたアメリカ人fellowが“イギリス人には論議ではかなわない”といっていた。日本人には良くわからないが,イギリス人の論理的な思考(理屈っぽさ)や論議の強さはやはり際立っているようだ。そういえばFreemanやMurrayはアメリカの学会でも無双していた。そんな彼らにとっては日本の聴衆なんか赤子の手をひねるようなものなのだろう。

「統計でウソをつく法」(ダレル・ハフ著)という本もあるぐらいだから,
同じデータからまったく反対の結論が導き出せることもある。

“ほんまかいな”と得心していない“読者のために,論文中のデータを“UKAを推奨しない”という立場から見直してみることにしよう。

(J Bone Joint Surg Am. 2016 Jan 6;98:1-8.より改変)

これは本文中のグラフを左右反転して,術者全体の平均UKA数であるn=5を点線で示したものである。“UKA年間症例数が20以下になるとrevision rateが加速度的に上昇する”ということは誰の目にも明らかである。TKAでこの増加がほとんど認められない,つまり誰がやっても(下手な術者でも)成績が安定している。そして術者全体の平均UKA数が約5例(赤点線で示している)であることを考え合わせれば,何が平均的な術者が選択すべき術式かは議論の余地は無い。

(J Bone Joint Surg Am. 2016 Jan 6;98:1-8.より改変)

上図はTKAを全く行わない術者もオリジナルのグラフに書き加えて(赤枠),書き直したものである。さらにUKAの年目標間症例数として目安になる20の位置を赤矢印で示してみた。要するに著者らは赤矢印より左側に位置する術者にhigh-volumeつまり年間30例以上のUKAを推奨していることになる。これは果たして実現可能な推奨といえるだろうか? 私にはそうは思えない。

実際は(彼らも当然気付いていたのだろうし,査読者からの指摘もあっただろう)本論文でも目立たない部分に(?)下記のような記載がある。

Surgeons who are unable to achieve a sufficient caseload should abandon and refer suitable patients elsewhere. 十分な数ができない人はUKAをすべきではなく,他施設に紹介するべきである(p7 left column 最下段)”。そしてこれこそがわれわれが従うべき推奨なのである。

2つの論文からわかるように,彼らは“UKA率”と“UKA数”を巧みに使い分けて,UKAを推奨している。当然だが,ある事象を別のパラメーターで見るとこのように解釈できるということだから,科学的に問題があるということでは無い。ただ全体としては彼らのロジックには“率”と“数”を操るトリックが隠されていると言うことには留意してほしい。
 ● 第一論文:UKA率ではacceptable usage:20%以上
 ● 第二論文:UKA数が少ないとRRが高く30例以上でTKAとcomparable
という論旨で,それぞれは確かに達成可能な目標のように思える。しかし両者を兼ね備えられるのは(計算してみればすぐわかるが),年間TKAを150例行う術者だけなのである。しかし実際は平均TKA数はわずか33.6例(本文中データによる)にすぎない。だから大半の術者にとってこの両者,つまり数と率は両立が難しい数字なのである。それを別々に解析することにより(巧みに分離して)全体として達成可能なような目標に見せかけているといえば言い過ぎだろうか。

だから静的なregistryデータからの統計学的結論としては問題は無くても,動的なもの(Learning curve)や術者・患者心理を考えると,話は単純では無いことはおわかりいただけたかと思う。さらに手技レベルを維持するための症例数(広義のLearning curveともいえよう),も考えておかないといけない。英国のconsultantでも年間のTKA数は平均50例以下なので,UKA率を20%まで高めたとしても年間10例,月一にも満たないのである。このvolumeでUKAの技量が保てるかといえば心許ない数字ではなかろうか。

最後に大切なことなのに,あまり指摘(認識)されない問題をもう一つ指摘しておきたい。それは諸外国と日本では人工膝関節置換術を実際に行う術者層に大きな違いがあるという事実である。

英国をはじめ諸外国では人工膝関節置換術は専門医(consultant)の手術である。もともと専門的な医療を行うsurgeonの地位が高く,一般診療はいわば“何でも屋さん”のGP(general practitioner)が担っているという相違もあるが,“猫も杓子も”(失礼)TKAをやっているわが国とは状況が異なる。論文中にも専門医(consultant)がやった手術の割合が示されている(下図)が,TKAでは77.8%であるのに対しUKAでは一般にそれよりも高く,英国でも比較的専門家向けの術式である事が読み取れる(high volumeでかえって比率が低いのがなぜなのかはわからない)。

(J Bone Joint Surg Am. 2016 Jan 6;98:1-8.より引用)

翻ってわが国でUKAのセッションやセミナーに参加する術者層を考えてみると,失礼かもしれないがその質は甚だ心許ない。先日タイのHip& Knee Surgeonの学会に参加し,人工関節志望のレジデントの専門医試験に立ち会う機会があったのだが,レベルが高いのに驚かされた。英語能力も含めて,日本の若手医師は正直ボロ負けである(自分の若いときのことを考えると偉そうにはいえないが)。
要するに欧米では人工関節専門医というのは激しい競争を勝ち抜いた専門性も社会的地位も高いエリート層なのである。わが国の状況を考えれば“UKAの適応を広げることは問題がさらに増幅される。安易な適応拡大・症例数の増加は厳に戒めるべきであろう。

蛇足かもしれないたとえ話

今までの話全体としてのイメージがつかみにくいと感じられるなら
 術者:車を運転する人
 UKA:スポーツカー
と考えれば理解の助けになるかもしれない。
そして設定(仮定)としては
 ● スポーツカーを(実際に)運転する人は少数派である
 ● スポーツカーはやや事故率が高い
という状況であるとしよう。ここでスポーツカーを売りたい人(企業)がその愛好家を集めて
 ● スポーツカーを運転する機会が少ない人は事故率が高い
 ● l だからスポーツカーに乗る機会を増やす(増やし続ける)べきである
と言う趣旨の拡販キャンペーンを行ったら貴方はどう感じるだろうか?

少なくとも“ああ自分もスポーツカーに乗らないといけないんだ”と感じる人は少数派であろう。これはある意味当然で,スポーツカーに乗る意義(性能?快楽?実益?)を感じるかどうかが人それぞれだからである。さらに一口に事故といっても重大性に幅がある。それらのことを(無意識にでも)勘案するので普通は“その気”にさせられることは(常識的には)まずないといって良かろう。ところがUKAのセミナーでは基本的には同じ趣旨のデータを見せられて,“ああUKAをたくさんやらないといけないんだな”と感じてしまっているのである。

この運転手とスポーツカーはあくまで“たとえ話”であり厳密には考えないといけない問題が多くあることも事実である。例えば
 ● ドライバーの多様性(経験年数・技量)
 ● スポーツカーに乗る意義(性能?快楽?実益?)
 ● 事故の種類・重大性
などである。

しかし,基本的な構図としては運転手→術者,スポーツカー→UKAと置き換えてみることは意味のある思考実験であろう。そして貴方がこのたとえ話を聞いて,“何か変だな”という“違和感”を感じたのならそれが“常識的な”判断なのである。そしてそれが事UKAに関しては働かなくなっているのなら,なぜそうなっているのかを深掘りして考えるべきである。大半のドライバーにとって運転は実益であり,目的が達成されるなら事故が起こらないのが一番なのだ。その意味でスポーツカー(UKA)の推奨は“大きなお世話”なのである。

最後に

“UKAは(少なくとも貴方には)十年早い”という本稿の主張は企業にとっても出版社にとっても望ましいものではない。適応を選んで,手技上の注意点を守れば“そこの貴方”にも好成績が得られますよ,という趣旨でなければ誰もセミナーなど参加しないし,本も売れないから。だからUKAをあまりやらない私のような者が発言する機会はきわめて限られている(学会でも発表する機会は無いし,当然セミナーでもお呼びがかからない)。だがCOIが無い立場だからこそ出来る“貴方にはUKAは10年早い”という警鐘こそUKAの正しい普及のためには必要なものである(と思う)。私が今後UKAをどんどん増やして,セミナーで講師をしたり,学会で発表することはまず無いだろう。だからそれだからこそ忖度なく“喝!”を入れるご意見番であり続けたいと思っている。


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