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第3回 Dupuytren拘縮:あんなにいっぱいあったのに,今はこれだけ?

Baron Guillaume Dupuytren(1777〜1835年)

Baron Guillaume Dupuytren(1777〜1835年)は19世紀を代表するフランスの医師である。彼の医者としての功績は幅広い。G. Androutsos¹⁾らによると,彼の医師としての業績は “Dupuytren” と名前を冠しているものだけで少なくとも19個は存在する。整形外科領域だけに絞ってみると,

・Dupuytren’s amputation(肩甲上腕関節での切断術)
・Dupuytren’s fracture of fibula(腓骨の骨折を指すが,果部骨折も多く含まれており,内果骨折,遠位脛腓関節の完全離開,腓骨骨幹部骨折などを伴う)
・Dupuytren’s fracture of the foot(足底部の線維増殖性疾患:足底線維腫のこと)
・Dupuytren’s splint(骨折で使用する添え木)
・Dupuytren fascia(手掌腱膜のこと)

などがある。後の研究や発見などにより,Dupuytrenの名前を冠するものはずいぶん減ってしまったが,「Dupuytren拘縮」はまだ現役である。

Dupuytrenは3歳の頃いきなり誘拐されたり,軍人になるつもりが父親の命令で医師になることを課せられたりと波乱の人生であった。それでも17歳で医師の採用試験に合格し,解剖学助手としてのキャリアをスタートさせている。38歳でHôtel-Dieu病院の外科部長に昇進し,朝早くから患者の診察を始め,暇さえあれば解剖学教室にいたとされる,仕事の鬼である。

Dupuytrenは患者には非常に優しいが,とにかくストイックで患者以外の人には厳しいとも伝えられている。周りに「冷血」とか言われちゃうくらいである。彼の弟子にはなんと,Jacques Lisfranc de St. Martin(リスフラン関節の名付け親)²⁾ やJacques Gilles Maisonneuve(Maisonneuve骨折の名付け親)など,著名な医師が名を連ねている。しかしながら,決して仲が良かったわけではなく,Maisonneuveは裕福な家柄だから,という理由で Dupuytrenにいじめられ(Maisonneuveは相当我慢強く耐えたらしい),Lisfrancが美声だといわれる元となったのは Dupuytrenとでかい声で怒鳴りあっていたから,とも言われている。

最後に,Dupuytren拘縮(図1)は原因不明(微小外傷ともいわれる)の手掌腱膜の線維増殖で発生する。環指や小指レベルの手掌腱膜に結節や硬結が発生し,その後索状の線維化となる。徐々に環指や小指の屈曲が起こる。痛みはないものの指の伸展が困難になる。中年男性や糖尿病患者にみられる。糖尿病に先行して発症することもある。また,足底腱膜も同様に拘縮が発生する。

文献
1)G Androutsos, M Karamanou, A Kostakis. Baron Guillaume Dupuytren(1777-1835):One of the most outstanding surgeons of 19th century. Hellenic J Surg 2011;83:239-44.
2)小林 晶.足部に名前を残す二人のフランス人.日医史誌2001;47:554-5.

(『関節外科2022年 Vol.41 No.10』掲載)



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