ケンゴ

もうすぐで頂上に着く。両肩から腹部にかけて、頑丈に安全装置で固定されてはいたものの、どこか体と合っていないような気がして、ケンゴは気が気じゃなかった。ケンゴは拒食症だった。友人に誘われて行った初めての遊園地、初めてのジェットコースターだった。友人は美味しそうにチュロスを食べていたが、ケンゴにとっては油臭い砂糖の塊に過ぎず、食べれば胃に居座り続け、しまいには吐き気を催す悪魔のような食べ物だった。その友人がチュロスを片手に乗ろうと提案したのが、世間で話題になっていた、絡まったバネのようなコースを走るジェットコースターだった。ケンゴは痩せ過ぎていた。安全装置とケンゴの体との間には、拳二つ分の隙間が空いていた。係員に大丈夫なのかと尋ねても、全く問題ないとルーティンのように言うだけだった。急降下の体勢に入った。ワゴンが駆け落ちると、内臓が浮く感覚がした。そのままの勢いでカーブに突入する。それと同時に、ケンゴの下半身がワゴンの縁に振り飛ばされ、そのまま外に投げ出されると、上半身までもがズルズルと引き連られていき、ケンゴはありったけの力で抵抗したが努力も虚しく、ケンゴの体はまるで、ワゴンに頼りなく貼り付いていた木の葉のように宙を舞った。ケンゴの目は、楽しそうな口元に運ばれていく、無数のチュロスを捉えていた。人生で初めて、チュロスが美味しそうに見えた。次に見えたのは太陽だった。自宅に引きこもりがちだったケンゴは、太陽が視界に入るさえ久しぶりだった。目の奥が一瞬痛くなったが、顔全体で感じた優しい温もりは、永遠に続くもののように思われた。重力は残酷に、ケンゴの肉体を地面に向かって引き続けた。ケンゴの肉体は、空に舞う凧のようでもあった。ただし、その糸は決して切れることはない。ケンゴが最期に目にしたのは、またもやチュロスだった。食べかけられ、踏みにじられたチュロスだった。チュロスの油はケンゴの血液と混じり合った。それは最初で最後の和解だった。

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