13

気だるさとともに目を開けると、シュンジはマスタングの助手席に座っていた。車内には熱気が充満していた。運転席には例の男と思しき男がいて、身を乗り出してシュンジの顔を覗いていた。
「よお、起きたか」
籠った低い声が車内に響いた。
「んん、なんだ、何をした」
「ちょっとばかり睡眠薬をな。ただ、睡眠薬と言っても、前向生健忘を引き起こすベンゾジアゼピン系のやつだがな」
前向性健忘。投薬した後の一定時間の記憶を忘れてしまう、あの症状。シュンジは薬理学の講義を、まだはっきりしない意識のなか思い出していた。
「よく話してくれたよ」
ほくそ笑むように、男は低く言った。

「俺が、何を」
シュンジはかすれた声で言った。
「なぜお前はここまでテンサウイルスについて詳しい。率直に聞こう。お前は追手か何かか」
シュンジはまだ状況がよく把握しきれていなかった。体もまだ上手く動かせない。汗が額を流れ落ち、喉も渇いていた。
「テンサをばらまいた奴らがいる。おそらく少人数。そして考えるようして、思想犯の可能性があるとまで、尋ねたら話してくれたな」
シュンジは、麻酔にかけられ意識が遠のいていくなか、聞いてはいけないような身の上話を話し始めた患者のことを思い出していた。鎮静剤が自白剤のように働いた一例だった。同じことが自分にも起こったのだと思った。
「なんだ、おっさんが犯人か」
男は、面長な顔に通風孔のように配された目を緩ませ、笑いながら言った。
「はっはっは、大したもんだ。どうやって俺を突き止めた。偶然にしちゃ出来すぎている」
全くの冗談を言ったつもりだったシュンジは、男の想定外の反応に刺激され、男の話に集中するには十分な意識を回復させかけていた。

「本当におっさんがやったのか」
「信じるか信じないかは自由だ。そして信じられないのが普通だ。なんせ俺は、テンサの名付け親なんだからな」

にわかには信じられなかった。
「おっさんも随分、饒舌じゃないか。あんたも睡眠薬でも飲まされたのか」
「はっ、口が達者だな。どうせお前はここまでだ。追手ではなさそうだな。まあ、どの道、お前には消えてもらうがな」
テンサの名付け親?そんなことが起こり得るのか。死ぬのか俺。シュンジは思考のギアを切り替えにかかった。男が、塩化カリウムとラベルされた注射器を手に取ったのを、シュンジの目は捉えていた。
「なんで、テンサをばらまいた。多くの人が亡くなったんだぞ。俺は医者だ。無念のうちに亡くなっていった患者をこの目でたくさん見届けてきた。あんたのその目は何を見てきたから、こんなことをしでかしたんだ。どうせ殺すんなら言ってみろよ!」
シュンジは、男に発破をかけてみるしかないと判断した。
「ほう、医者ときたか。なら、俺の思想を理解するかもしれんな」

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