重罪

僕は、掃除用具入れに身を潜めていた。そこまで狭くはない。光は、通気の隙間から漏れてくる以外には無い。背中には、何本かほうきの柄がもたれかかっている。空気が埃っぽくて、咳き込みそうになるのを抑えていた。

大人になって、こんな状況に陥るなんて思いもしなかった。隙間から見える、月明かりに照らされた机や椅子は、記憶のどこをどう探っても見つかるものではなく、懐かしいようで奇妙なものだった。

警察から逃れるためには好都合に思えた。校舎の構造は、10年ほど前にいた時とほとんど変わっていない様子だし、その証拠に、難無く忍び込むことに成功し、こうして僕は身を潜めている。理科室のすぐ側にあるトイレの小窓は、未だに締め金具が代えられていなかった。外から上手く窓を揺さぶると金具は、昔と同じようにスルスルと動き、簡単にロックを解除することができた。体が大きくなった分、窓を通り抜けるのに手間はかかったが、それ以外は全て同じ要領で校舎内に忍び込むことができた。

何事も経験だなと、僕は思った。いつどこでどういう場面で、培ってきた技術や能力というものは役立つか分からない。

トイレを抜けると大きな掃き出し窓のある廊下があり、そこを通る時、塀越しにパトカーのライトが明滅しているのが見えた。僕は音を立てないよう、急いで3年A組の教室へと走った。警察の動きは早かった。通行人に姿を見られてしまったのが最大の失敗だった。計画は用意周到、油断も隙も無かったはずだった。しかし、燃え上がる木製の資材を目の前にして手元にガソリンを持った僕を、あの主婦らしき女は、電柱と電柱との間から身を隠すように探っていた。目が合うと、女はすぐに逃げると思いきや、スマホを取りだし電話をかけるそぶりを見せた。それを見た僕の方が逃げた。そこから走って10分の場所に、僕の母校の中学校はあった。

掃除用具入れの通気口から見える教室の天井では、わずかだが、パトカーのライトによるものと思われる赤色が、濃くなったり薄くなったりしていた。駆けつけた警官は、意図したのかヘマをしたのか、あっさりとその存在を僕に教えていた。想像するにパトカーは、三階にあるこの3年A組の教室の、すぐ下の方に停めてあるらしかった。そう考えると、警官と思しき男の声までもが聞こえた気がした。

「まだ近くにいるかもしれない」

目の前の机にあるリコーダーの名札には、月明かりに照らされて、マリカと書かれているように見えた。

「まだ私の近くにいて」

マリカは、僕の初めてできた彼女だった。ショートカットがよく似合っていた。かと言って、長髪にしても不思議な魅力が出る女の子だった。しかしそれは、僕だけが感じるものらしかった。マリカは、決して明るい子ではなかった。どちらかというと、暗い子だった。

僕がマリカと初めて出会った高校一年生の時、僕らのクラスではマリオカートが流行っていた。みんなしてマリオカートのことを、マリカーマリカーと呼んでいたが、誰もそのことでマリカに話を振るものはいなかった。そのことで声をかけたのは僕だけであり、そしてそれは、僕がマリカと話した、一番最初の話題でもあった。

「マリカさん。みんなマリカーマリカー言ってるけど、マリオカートには興味ないの?」

その時マリカは、小説を読んでいた。何を読んでいたかまでは憶えていない。急に声をかけられ少し驚いたのか、慌てて振り向けた顔に、ショートカットの髪がドレスのようにひらめいた。

返事はなかった。

でも、目だけは何かを僕に伝えたがっているように思えた。無数に積み上げられた本をより分けて、何かを両手の上に乗っけて、瞳の窓から差し出してくるように思えた。でもそれは、途中であきらめられてしまったようだった。

マリカは小説の続きに戻った。僕はマリカが無視したことに対して何も言わなかったし、特に何も言うべきことが思いつかなかった。というのは、マリカが同じような対応を他の男子や女子にしているところを、僕は何度か見ていたからだった。マリカは、スターをとったピーチ姫のように、完全にマイペースを貫いていた。

天井の赤色はもう無くなっていた。
僕は、掃除用具入れから出て、汗をぬぐった。よく見るとリコーダーに書かれた名前は、マリコ、だった。その隣にあった机の上には、学校仕様のジャージが無造作に脱ぎ捨てられていた。僕は着ていたNIKEのジャージを脱ぎ、それを羽織ってサイズが不自然ではないことを確認すると、そのまま校舎を離れることに決めた。かぶっていたニューヨーク・ヤンキースの帽子も、ジャージと一緒に教室のゴミ箱に捨てた。明日の朝、先生か生徒がこれを見つけても、まさか放火魔が捨てていったものとは思わないだろうと思った。

そう、僕は放火魔になっていた。その発端になったのは中学でのイジメだった。掃除用具入れに、いやいやねじ込まれたこともよくあった。それなのに今はまたこうして、自らの意志であの忌まわしい空間に身を置いていた。しかも同じ教室で。そう思うと、今の記憶ですら燃やして灰にしてしまいたかった。

マリカは、高校三年生の時に、同級生を殺した。当時、マリカと付き合っていた僕は、その日のマリカの変化に気づいていた。

「どうかしたの、マリカ」
「まだ私の近くにいて」

逮捕され、離れていったのはマリカの方だった。自分の方から離れていくことになるとわかっていたはずなのに、マリカはどういうわけか、僕の方が先に離れていくみたいな言い方をした。

僕は、中学校から離れるべく周囲の状況を詳しく把握しようと、まず教室のベランダに出て、警官らしき人影がないか探りにかかった。ベランダから見下ろした夜道には、街灯の光が所々、小さく地面を照らしていただけで、特にパトカーや怪しい車両、通行人もいなかった。その状況は、僕が想定していた、放火したアパートの周辺のものに近かった。これだけ人気がなくて、あの女に遭遇したということなら、今回は相当、運がないなと思った。

次いで、教室に戻り廊下側に出て、運動場の様子も確認した。警備会社の車が一台、停まっていたが、見渡した限りでは警備員の姿はなかった。警官が身を隠しながら僕のことを待ち伏せしていない限りは、問題なく脱出できるだろうと思った。僕は、そのまま来た道を戻ろうと、階段へと歩いた。階段の一段目を下りた、その時だった。

下の方にある折り返した階段の壁に、ポータブルライトの光の筋が突然現れた。警備員だと思った。なぜなら、警官であればあるであろう急いている雰囲気が無かったからだ。光の筋も、どこかゆっくり動いているように見えた。僕はそっと、階段に下ろした右足を戻し、近くにあった横幅が1mはある、大きな丸い柱に身を隠した。これなら、うまく回り込めば気がつかれずにやり過ごせる。階段を上がってくる足音が段々と近づき、大きくなる。僕の心臓の鼓動も、それに合わせて段々と早くなり、大きく波打つ。警備員は、柱をまたぐようにライトの光を移動させると、そのまま次は反対方向を照らし、その方向へと歩いて行った。足音が十分に小さくなるのを待って、僕は理科室へと階段を下りた。

トイレの臭気が廊下まで漏れていることに、僕は気がつき、小窓を閉め忘れていたことを思い出した。小窓から入ってきた空気が、トイレ内の空気を廊下側へと押し戻しているらしかった。

「お前が便器舐めるまでは、ここから出さないからな」

僕をイジめていたグループの、リーダー格の奴が言った。

僕は、笑顔を表情に浮かべながら軽い調子で抵抗したが、そもそもその僕の表情こそが、そのグループのメンバーをイラつかせていたらしく、火に油を注ぐかたちになった。

「キモいよ。早く舐めろって。その笑顔も綺麗に流されるだろ」

一人が、小便器の水を流した。今日は小便器か、と僕は思った。以前には、大便器の便座を舐めさせられたことがあった。下手に抵抗すると暴力を振るわれ、痛い目を見ると思い、僕はそれよりはと判断し、便座を舐めたことがあった。今回は、直に舐めさせるつもりらしかった。

もう一人が、僕の頭を掴んだ。もう一人が、僕の胸ぐらを掴み、僕の体を小便器に近づかせ、無理やり膝まづかせた。目の前には、芳香剤の黄や緑のボールと、水に浮き沈みする陰毛と、まだらに黄ばんだ排水口とがあった。芳香剤の香りと尿の混じった匂いに、思わず嗚咽した。周囲からは笑い声が起こった。

「舐めろよ。ほら。時間とらせんなよ」

意味がわからなかった。ならこんなこと初めからしなければいい。いや、あいつらには理屈は通じない。僕には、黙って舌を出すしかできなかった。眼前を、便器から放出された水が土砂のように流れていく。僕は、砂漠を想像した。空に孤高の存在として燦然と輝く太陽。永遠に続く、砂丘と地平線。一切の水分が存在しない砂漠を想像した。乾ききった大地は、太陽の核に存在するヘリウム同士が発生させた、核融合エネルギーの恩恵であり、それは紛れもなく太陽の産物だった。

僕は、太陽の炎によって便器の水が干上がり、あらゆるバクテリアが死滅し浄化され、何より周囲の人間が焼け死ぬことを思い望み、そして舌を突き出した。それと同時に、額に衝撃を感じた。砂漠に剥き出しになった岩盤に頭を打ち付けたように感じた。そして、その亀裂から水が湧き出し、自分の額の生き血と混じり合った。洗礼を施されたと感じた。気づくと僕は、便器の水を飲み始めていた。

「おい待ってこいつ、水飲んでんぞ!」

けたたましい嘲笑が起こった。

放火に取り憑かれたのは、その日からだった。

僕は、小便器の前に立っていた。できるだけ早く中学校を離れるべきだと思っていたし、その小便器は、形さえ同じだけれど実際に使われたものとは違った。でも、通り過ぎることができなかった。燃やすことはできなくても、壊さなければと思った。昔、理科の先生が、ボンベに入った液体窒素を使い薔薇を凍らせて生徒に見せていたことを、僕は思い出した。凍った薔薇は、生徒たちの手に触れられると簡単に、はらはらと崩れて散った。それがやけに美しく感じられ、記憶に残っていた。理科室にはボンベがあるはずだ。僕は、トイレを出て、理科室の倉庫を物色することにした。ボンベは簡単に見つかった。

扉を開けると右手に、壁一面の備え付けの大型の棚があり、その下段にボンベは収納されていた。意外に軽かった。しかし、金属の塊には変わりなかった。僕はボンベを持ち、トイレに戻って小便器の前に立つと、一つ深呼吸した。それからバルブを左手に握り、右手でボンベを支えるように振りかぶると、渾身の力を込めて、ボンベを振り下ろした。

「死ね!!!」

今回は、額にではなく、手のひらにあの時と同じ感触が残った。
便器の頭らへん一帯が大きく崩れ散った。
便器からは、排水管に亀裂が入ったのか、頸動脈を切断された人間の出血のように、勢い良く水が噴き出した。それは僕の顔にかかったが、あの忌まわしい記憶の熱は、冷めるわけでもなく薄れるわけでもなかった。しかし、冷静さを取り戻すには十分で、僕はボンベを捨てて、まずは小窓から外に出ることに意識を集中させた。壁にも水がかかってしまい、ただでさえ頼りないタイルとタイルの間の溝は、濡れて足をかけるが難しくなっていた。来た時よりかなりの時間を消費したが、なんとか小窓へと体をねじ入れ、外に出ることができた。体力もかなり消耗した。外の空気は涼しく、僕を労い、体を冷やしてくれるようだった。人気は無かった。街灯の明かりが、寂しく佇んでいるだけだった。僕は、周囲に注意しながら歩みを進め、放火現場付近まで接近するルートで自宅に戻ることにした。

僕が初めて犯した放火は、近所のゴミ置き場でだった。それ以前は、家にあったライターでプリント用紙を燃やす程度のものだった。自分の部屋で、初めて紙を燃やした時の高揚感と自己効力感は、今までに無いものだった。猿を人間たらしめ、この地球の支配者に即位せしめた要因の一つが、道具を使い火を操れるようになったことと同じように、僕はその道をまた、僕自身が歩んでいくのだと夢想した。僕は、あらゆる種類の紙を何枚も燃やした。プリント用紙、新聞紙、チラシ、ノート、教科書、辞書。僕の部屋にも、火災報知機は設置されていたが、それは丼を持ってきて被せ、ガムテープで固定すればいいだけの話だった。臭いが漏れて親にバレないように、水を染み込ませた雑巾でドアの隙間を覆う工夫もした。換気に関しては、僕自身が困るというよりは、紙がよく燃えるようにとの目的で、酸素を供給することをイメージして行っていた。一週間もすると、家で手に入る紙に関しては、一通り燃やしきっていた。

その過程で、燃えやすい紙や燃えにくい紙があることがわかった。紙自体の性質やインクの油性成分が関係しているのだろうと考えたが、詳しいことまではわからなかった。というか、わかりたいとは思わなかった。僕は純粋に、何かを燃やしたいと思った時に燃やし、それが灰に変われば、それだけで十分満足した。だから、燃えにくい紙に関しては、台所から油を拝借してぶっかけて燃やせば、それで十分だった。だけど、燃えきらなかった紙や油の後片付けが面倒だったため、僕は油を使うことは、よっぽどのことがない限りはなかった。

家で紙を燃やすことに飽きた僕は、次に何をするか考えるまでもなく、ポケットにライターと紙を忍ばせ外出するようになっていた。

僕が目をつけたのは、自宅から徒歩15分程の場所にあるゴミ置き場だった。そこには他のゴミ置き場とは違って、ほぼ毎日のようにダンボールが積まれていた。何日か通い詰めると、ダンボールの多い日と少ない日があり、それは近くに大型のスーパーがあって、業務用のダンボールがまとまて捨てられているかららしいことがわかった。そして、火曜と金曜の午前中にはすっきりゴミが無くなっていることから、月曜と木曜にダンボールは回収されていることもわかった。僕はダンボールを燃やしたことが、その時はまだなかった。これらのダンボールがどのような火を纏うのか、どうのように焼け焦げていくのか、どうしようもなく知りたくなった。ポケットに忍ばせたライターと紙の感触が、今か今かと、主張を激しくしていた。ゴミ置き場には、長さ1.5mはある大ぶりのダンボールが、壁に立てかけられ捨ててあることが多く、その他には、大小様々なダンボールや紐で括られた新聞や雑誌類、一般家庭から出るゴミなどもあり、住宅街に普通にあるこじんまりとしたゴミ置き場の風情とは違って、いわゆる事業系ゴミが大半を占めていた。僕は、人通りが少なくなる時間帯の午後3時頃を狙って、記念すべき初めての放火に及んだ。火種として選んだのは、アルコールを染み込ませた新聞紙で、一枚分の体積は折り畳んでしまえば簡単にポケットに収まり、ズボンの格好の違和感なども全くなかった。僕は、壁にもたれかかったダンボールに、銃撃戦のように身を寄せて隠れ、左ポケットから新聞紙を、右ポケットからライターを取り出し火を付けたい。余計な風はうまくダンボールに遮られ、陰になった面から炙ったダンボールはイメージ通りに火が付いた。

僕はすぐに、しばらく走った先にあった街路樹に向かい、あたかも待ち合わせをしているかのように、スマホをいじりながら横目で放火したゴミ置き場を観察した。最初のうちは火の出どころが全く見えず、何の変化もなかったが、5分もしないうちにはっきりとした白煙を上げるようになった。

緊張した。通行人は見えない。時々、自動車が通る。徐々にだが確実に白煙の量は増し、ついには炎が見え始めた。もっと激しく燃えろと思った。イジメに対して無力な自分が、燃えて無くなる気がした。下水まみれな記憶が浄化される気がした。炎はその期待に応えた。炎は勢いを増し、ゴミ置き場を飲み込み、排泄物として、不浄な僕や記憶を孕んだ黒煙を吐き出し始めていた。

あれは冬の放課後のことだった。

「マリカさん」
「?」
「あ、いや。帰るのかなーって」
「、、、」
「あ、だよねー。学校終わったし」
「そうね」
「、、、」
「、、、」
「え、あのー、あの小説ってなんてやつ?」
「××××」
「へー、××××、初めて聞くなぁ。どんな話なの」
「しつこい男が女に殺される」
「、、、」
「、、、」
「ど、どうしつこかったのかな」
「話しかけるとか」
「、、、」
「、、、」
「話していいかな」
「許可が必要なの?」
「え、あ、まぁ、マリカさんは大丈夫?」
「わかんない」
「わかんない?」
「どっちでもいい」
「じゃあ、話すよ」
「マリカさんって地元どこだっけ?」
「、、、」

「おい。サトル!今日この後どうよー」
「あ、ごめん。ちょっと用事が」
「ああ、そう。。。んー?誰だろあの子」

「俺はここなんだよね」
「、、、」
「あ、こっちから出る派なんだ。ここの出入り口、いつもシューズが散乱してるよねー。俺、靴が好きだから、信じられないんだよな。特に、かかとつぶす奴とかさ。イチローとかも言ってるし、なんか自己啓発本とかでも、道具を大切にしない奴はダメだーってね。まぁでも、どうでも良いものはどうでも良いのもわかるんだけどね。捨てたい道具とか物とかも実際あるじゃん。それどころか、もう見たくもない!ってのもあるし。あ、スクールバス行っちゃう。ま、いっかー。でも俺はその場合だと、あんな風にとっ散らかすんじゃなくてさ。捨てるのでもなくてさー。ちゃんとこの目で、なんつーか。まぁどうせゴミは焼却するんだけど。なんて言えば良いんだろ。成仏していただく、みたいな。うん。とにかく、おまじないみたいなことしないと気が済まないっていうか。そうそう、ジンクスって言うのかな。そう、ジンクス。マリカさん、ジンクスとかないの?」
「、、、」
「、、、」
「ジンクス、か」
「そうそう!ジンクスジンクス、聞いてたんだ」
「、、、」
「、、、」
「火が好きかも」
「ひって、ファイヤーの?」
「そう、火曜日の火。何かと節目は火曜日」
「はぁ、好きでジンクスでもあるのか」
「サトル?さんは?」
「あ、俺?火が好きかって?いやそんな、火が好きってガキっぽくね」
「いや、ジンクスとか。でも火自体も好きよ。蝋燭の火とか」
「へぇ、変わってる。ジンクスねぇ。。。あー、俺こそ変だけど、言っても引かない?」
「わかんない」
「わかんないか」
「しつこい男を殺す女よりは引かない」
「ははは、じゃあ大丈夫かな。俺のジンクスは、血が流れること」
「出血?」
「そう、なんかね。ケガしたりして出血すると何かが起こる。ふっ、自分で言ってておかしいね。なんかやっすいマンガの主人公みたい」
「でもジンクスってそういうものよね。右足から靴を履くのも。瀕死を潜り抜けると強くなるのも。そう変わらない」
「なにそれ。全然違うと思うけど」
「結局は思い込みよね。右足からだと運が良くなる。痛めつけらると強くなる。非、科学的」
「非、科学的かぁ」

「、、、」
「、、、」
「あ、バス停に向かってる?」
「そう」
「あ、そっちなんだ。あー、一駅違うと通ってる路線が違ってたね。そういえば。俺、こっちだわ」
「そうなのね」
「いった!!!何すんの!まちばり!?マリカさん。ファンキー、ベイビー、でもヒューマン」
「何か起こるかな」
「えー」

僕らはその日、通りがかった公園でキスをした。自然な成り行きだった。一緒に公園に入った。一緒に遊歩道を歩いた。一緒に遊具でふざけあった。一緒に飲み物を買って飲んだ。一緒にキスをした。

「あ、おまじない。きれたかな」
マリカの唇が動いた。
「わからない。きれたかも」

「おまじないじゃなくてジンクスだったか。まぁ、どっちでもいいけど」
マリカの吐息が、僕の口の中に入ってくる。
「舌出して」
マリカは言った。
僕の目の前にいるのはマリカで、口付けをしている。小便器じゃなかった。
「え、でも汚い」
「気にしない、、、舌出して」
「うん」
「おまじないじゃなくてジンクスだったか。まぁ、どっちでもいいけど」
マリカの吐息が、僕の口の中に入ってくる。
「舌出して」
マリカは言った。
僕の目の前にいるのはマリカで、口付けをしている。小便器じゃなかった。
「え、でも汚い」
「気にしない、、、舌出して」
「うん」

僕を変えたのは、高校入学と同時に始めたアルバイトだった。深夜帯の配送業のアルバイトで、荷物の振り分けを行うのが仕事なのだが、ひとえに荷物と言っても大きさも重さもバラバラで、かなり肉体的な負荷が大きいものだった。ろくに体を動かしてこなかった僕にとっては、死ぬほどキツい作業だったけど、そのキツさ以上に賃金が良かった。物をもっと効率的に燃やすためにはと色々計画を練っていて、新たなアイテムの購入も考えていたため、辞めるわけにはいかなかった。僕の肉体は、重労働に日に日に対応していった。荷物に貼られたラベルの番号が奇数か偶数かで、ベルトコンベアーで流されてくる荷物を振り分けるという、深夜何時間にも渡った単純作業は、意外にもメンタルをも強くしてくれた。僕のメンタルには、無心になれる単純作業が求められていたらしかった。腕や体幹、脚の筋量に比例するように、精神も安定していった。しかし、放火の衝動は止めることができなかった。僕の心に根付いた火種は、僕という人間の、肉体にまで深く深く根を張ってしまったようで、単純作業に無心に打ち込んでいる間は、筋繊維一本一本にまで、その根が絡んできているような気さえした。放火は、僕の精神であり肉体となっていて、容易には取り除けないものとなっていた。放火を止めることは、すなわち死を意味するだろうと、僕は思った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?