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実家を継ぐか、夢を追うか

目次
1.環境がつくる無言の圧力
2.反抗
3.安定か未知か

1.環境がつくる無言の圧力

私の家はおよそ100年続く病院で、両親や叔父や叔母、祖母や祖父はほとんど医師という環境で育ってきた。

一人っ子だし、とっても大切に愛されて育ってきたが、ただどうしても嫌なことがあった。

小さい頃から、母親とスーパーに行く時でさえ近所の人から
「大きくなったらお医者さんになるのね」
「おばさんのこと診てね」
と言われる。

母親と一緒に、私が知るはずもない患者さんにも挨拶しないと、
「きちんとしないと病院の評価が悪くなるでしょ」
と母に怒られる。

父も母も『医者になって病院を継げ』とは直接的に言わないが、そう思っているのだろうなと、たまに感じていた。

私は親の跡を継ぐツールで、家の外での役割は病院の評価を守るだけなのかと、憤りと悔しさがあった。

どうしても嫌なことというのは、こういった無言の圧力だった。

2.反抗

自分の人生を他の人が決めつけてくる感じがとても嫌だった小学生の私は、『中卒しよう』と決めた。

中卒して何になるかとか、将来どうなるかは全く考えずに、とにかく高校に行かなければ医者にならずにすむと思い、そう決めた。

中学でも高校でも何度も医学部には絶対行かないと思うこともあった。

大学に入ってからも、親と地域の医者・大学の医者の違いを話している時に口論になったことがきっかけで、決して実家なんて継いでやるもんかと思ったりもした。

3.安定か未知か

医者になるかを巡ってたくさん反抗して、たくさん考えた。

私はアイデアを出すことが好きで、おもちゃにしても食べ物にしても、商品開発に興味があった。

医者になって実家を継げば、代々続く場所で診察できる。
地盤も看板も、ある程度の鞄もあって、安定した将来が送られる。

商品開発の道に進めば、会社に属すること、日本経済や景気、たくさんの未知に遭遇することになる。

私は悩みながらも、母に説得されて医学部に入ることを決めた。

というのは、私の母も家が開業医で、私と同じように医者には絶対ならないで物理の教師になるとずっと言っていたそうだ。
母いわく、
「とりあえず医学部に入学して、卒業してから物理の先生を目指しなさい」
と私の祖母に言いくるめられて、その通りにしたそうだ。

「だからあなたもまずは医学部に入って、それから自分のしたい事をしなさい」

私が受験した時の医学部は、女性差別や年齢差別が当然のようにあった。
だから、やりたい事をしてから医学部にいくことは相当難しい。
そう思い、まず医学部に行こうと考えた。

医学部に入ると授業で医学について学ぶし、実習で患者さんと接することもある。周りの友達は当たり前ながら医者になりたいと思っている。
そういう環境にいて、最近は医者になるのもいいなと、今更ながら思ってきた。