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5月23日(木)メディア日記

 袴田巌の裁判をやり直す再審公判が22日、静岡地裁であった。検察側はあらためて袴田を犯人と主張し、弁護側は無罪を主張し、結審した。判決は9月26日。朝刊各紙はいずれも大きな扱い。共同通信は、姉の袴田ひで子(91)の最終意見陳述の全文を加盟社に配信、多くの地方紙が全文を掲載した。東京新聞も23日朝刊社会面に全文を掲載した。少々長いがこの最終意見陳述に袴田巌とひで子のすべての思いが凝縮しているので、あえて全文を掲載する。
「ひとたび狙われて、投獄されれば、肉体深く食い込む虐待、あの虚偽、虚構の、覆われた部屋、あの果てしなく、底知れぬめまい、もはや正義はない、立ち上がって、めくらむ、火花、壁に飛び散る赤い血、昔の悲鳴のように、びくりとし、立ち上がっても、投獄されれば、もはや帰れない、もはや正義はない。十三夜のお月さんが、南東に昇った7時の獄である。
 息子よ、おまえはまだ小さい、分かってくれるか、チャンの気持ちを、もちろん分かりはしないだろう、分からないと知りつつ声の限りに叫びたい衝動に駆られて成らない。そして、胸いっぱいになった、真の怒りをぶちまけたい。チャンは悪い警察官に狙われて逮捕された、昭和41年8月18日その時刻は、夜明けであった。おまえはおばあさんに見守られて眠っていたはずだ。
 今朝がた、母さんの夢をみました。元気でした。夢のように元気でおられたら嬉しいのですが、お母さん、遠からず真実を立証して帰りますからね。
 (以上が)弟巌の手紙です。そして、47年7カ月投獄されておりました。獄中にいるときは、つらいとか悲しいとか一切口にしませんでした。
 釈放されて、10年たちますが、いまだ拘禁症の後遺症といいますか、妄想の世界におり、特に男性への警戒感が強く、男性の訪問には動揺します。玄関の鍵、小窓の鍵など知らないうちにかけてあります。就寝時には電気をつけたままではないと寝られません。釈放後、多少は回復していると思いますが、心は癒えておりません。
 私も一時期、夜も眠れなかった時がありました。夜中に目が覚めて巌のことばかり考えて眠れないので、翌日の仕事に差し支えがあるため、お酒を飲むようになり、アルコール依存症のようになりました。今はというより、随分前に回復しております。
 今日の最終意見陳述の機会をお与えくださいまして、ありがとうございます。
長き裁判で裁判長さまはじめ皆様には大変お世話になりました。
 58年闘ってまいりました。私も91歳でございます。巌は88歳でございます。余命いくばくもないかと思いますが、弟巌を人間らしく過ごさせてくださいますようにお願い申し上げます。                 袴田ひで子

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