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invisible

先日みた奇妙な夢…

"いるのに見えてない"
目の前の人は、
確かに目に映っているのに、
見えていない…というもの

半覚醒状態で、その意味を考えた

もしかしたら、わたしたちは、
目の前の現象を、
目に映しこんでいるだけで、
何も見ていないのかもしれない

先日、じっと見つめ続けてくれた
ワンちゃんは、
わたしにそれを伝えようと
してくれていたのだろうか?
"あなた、そこにいるよね、
ぼくも、ここにいるよ
会えて嬉しいよ"って…

昔よく聴いた曲に、
"invisible man"という歌があった
片想いのなんとも切ない
歌詞なのだけど、
恋愛に限らず、わたしたちは、
"invisible"な状態で
人に接しているのかもしれない

もともと"invisible"なわたし達が、
五感で認識できる、
存在としてここにいるのに、
"invisible"に扱われる時、
きっと、魂は悲しむ…

逆に、恋愛中の幸せ感は、
相手の目の中に、自分の存在を、
はっきり認識できるからなのかも
だからつい、
その幸福感に依存してしまい、
いつの間にか、
お互いにそれを与え、
幸せを与えあう必要があることを
忘れてしまうのだ…

人は皆、いや、存在は皆、
"自分がここにいる"という感覚を
求めているのだと思った…


女性は、身姿を整えるとき
鏡をみるので、
男性よりはるかに
自分を認識する機会が多い

わたしも鏡を見るたび、
自身の目の輝きを確認する
輝きが失せている時は、必ず
自分に目を向けられていない時
他人軸になってしまっている時

自分が、自身に認識されて、
満たされているときは自然と、
外側の人に対しても、
満たしてあげようという気持ちが働く
だからまず、自身が自分を、
きちんと認識してあげること
なんだな…と思う
そうすれば、人に、その喜びを
プレゼントすることができる

でも、人との関わりは難しい…
わたしには、
人に依存させてしまうことが
よくあった
家族から友人、同僚に至るまで

認識してなかったけど、
多分、目や身体から出る
エネルギー量が多いのだと思う
それを犠牲的に放出していたり、
エゴの意思をのせてしまったり、そんなわたしの在り方が
人を依存させてしまったのだと思う

エネルギーを
体感できるようになって、
よくわかるのだけど、
身体という空間に
エネルギーが流入してくると
とても気持ちがいいのだ
きっと、わたしと接するとき、
人は、この感覚を得るのだと思う
この世界が
エネルギーで成り立っていると
いうことが、よくわかる

2020年くらいから、
徐々にわたしの周りの
エネルギーのコードが切られ、
依存的な関係にあった人々と、
次々縁が切れていった
昨年春には、
小学校の卒業と共に、
娘とのコードも切られ、
必然的に、自分自身に
そのエネルギーを向けるように
方向づけられていった

そして、
わたしの意思とは関係なく、
新しい縁ができたり、
深くなっていく縁があった

そしてまた、
ちょっと失敗しそうになった…
でも、今回は、
わたしと相手の魂が、
自然に修正してくれたみたい

人と接する時の
自身の在り方を、
深く考える時なのかも…