キーワード解説:認知症

フィネアス・P.ゲージ(Phineas P. Gage、1823 - 1860)は、米国の鉄道建築技術者の職長職長として、米国バーモント州の町カヴェンディッシュの外れで、鉄道の路盤を建設するための発破を行う任務にあたっていました。爆薬を仕掛けるために、岩に深く穴を掘り、火薬・ヒューズ・砂を入れて、鉄の突き棒で突き固める作業がありました。ゲージがこの作業をしている最中、突き棒が岩にぶつかって火花を発し、頭を突抜け、前頭葉が破壊されてしまいました。驚くべきことに、ゲージはすぐに意識を取り戻し、ほとんど人の手も借りずに歩いたそうです。

さらに驚くべきことがその後に起こりました。前頭葉の損傷が彼の友人たちをして「もはやゲージではない」と言わしめるほどの人格と行動の根本的な変化を及ぼしてしまったのです。事故前はバランスのとれた性格であったのに、事故後は気まぐれで礼儀知らずになったと言われています。この事件は、脳の特定の部位への損傷が人格に影響を及ぼしうることを示唆したおそらく初めての事例であり、神経学や精神医学の授業で繰り返し登場しています。

このことから、脳の部位ごとの機能の研究が始まりました。ゲージが、脳のどの部分を損傷したかについては、現在でも研究がされることがあります。

認知症の存在は昔から知られていましたが、認知症のことがわかってきたのは最近のことです。2004年12月には、「痴呆症」から「認知症」へと呼称がかわりましたが、単なる名称変更ではなく、治療・介護の方向性が転換したことを示しています。

日本の認知症は、2012年で462万人と算定され、2035年には799万人に増えると推計されています。これに加えて、MCI (Mild Cognitive Impairment) が400万人いると考えられています。

認知症の診断

認知症の診断基準は、世界保健機関の「国際疾病分類第10版(ICD-10)」とアメリカ精神医学会の「精神障害診断基準第5版(DSM-V)」が広く使われていますが、後者の方が診断基準として相応しく汎用されています。もっともDSM-Vではアルツハイマー型認知症、血管性認知症などの診断基準が示され、共通する認知症の部分が認知症の診断基準として使われています。その概要は以下の5つの条件をすべて満たした状態を認知症とします。 

・1つ以上の認知領域において、以前の行為水準より低下している。
・毎日の活動において、認知欠損が自律を阻害する。つまり、社会生活に支障をきたす
・その認知欠損は、せん妄や多の精神疾患によって説明されない。

ここで着目したいのは、「社会生活に支障をきたす」という項目です。認知症関連の研究や書籍でよく引用される研究例に「ナン・スタディ」があります。700人近い高齢の修道女が協力・参加した大規模なものです。米ミネソタ大学(当初はケンタッキー大学)のデビッド・スノウドン (David Snowdon) らの研究グループが、ノートルダム修道院の協力を得て行いました。

ナン・スタディの協力者の1人に101歳で亡くなったシスター・マリーという方がいました。シスター・マリーは亡くなる直前まで知能テストで高得点を獲得し続け、修道院の毎日の日課などもきちんとこなし、他の修道女とのコミュニケーションも問題なく取れていました。つまり、認知症とみられる症状は微塵もなかった、ということです。ところが、彼女の死亡後に行われた病理解剖で彼女の脳は何年も前から萎縮していたことが明らかになった上、脳組織には老人斑や神経原線維変化が多数見つかり、いわゆるアルツハイマー病です。しかし、アルツハイマー型認知症の症状がなかったのです。

また、東アジアや東南アジアなど、高齢者を敬う社会では認知症が少ないと言われています。これは、たとえ認知症を患っていても、周囲の人がサポートをするため、それによって本人が社会生活に支障をきたさないためだと言われています。

認知症の治療

認知症については、治療法は確立されていません。認知症の治療についての各種ガイドラインでは、まず非薬物療法を行うこととなっています。非薬物療法だけで「社会生活に支障をきたす」ことが解消されない場合に、薬物療法を検討します。

現在では、日本や世界各地で認知症に優しいまちづくりなどの取り組みがなされています。

認知症に関する出題

認知症に関するテーマが医学部小論文に出題されることは、現時点ではまだ多くはありません。しかし、今後は増えていく可能性もあります。


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