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日本の旧国名地図を見て感じたこと。

スエヒロ(著)『戦国時代のタイムライン』という本の巻末付録に、旧国名地図という、戦国時代の日本の地図が掲載されています。

当時の日本には、68の国がありました。現在の47都道府県と比べると、21も多いことになります。
そしてその68の国の中には、現在の北海道と沖縄は含まれません。

この地図を見ると、現在の関東地方より西の方は、今の都道府県よりかなり細かく国が分かれています。
それに比べて東北地方は、とても大雑把なイメージです。
現在の青森県、岩手県、宮城県、福島県の4県を合わせた広大な土地が陸奥という一つの国になっています。
そして秋田県と山形県の部分を合わせて出羽という国です。

東北地方に比べると、近畿地方は細か過ぎるくらいに分かれています。
大阪府なんかは、今でもかなり狭いのに、戦国時代は、河内、和泉、摂津と、3つの国に分かれていました。
当時は、日本地図なんてものはなかったので、京都から見ると東北地方は異国の地のようなものだったのでしょう。

日本の歴史の出来事というか事件は、ほとんどが近畿地方で発生しています。
平安時代に入って、平将門が関東地方で乱を起こしたのが、最初の大きな出来事です。
そして、源頼朝が鎌倉に幕府を開いてから、事件は全国で発生するようになりました。
それでも、徳川家康が江戸に幕府を開くまでは、事件の多くは近畿地方で発生したものです。

歴史というのは、遺跡の調査によって分かる部分もありますが、やはり一番大きな資料は記録です。
京都から遠く離れた地方には、記録に残されているものが少ないのでしょう。
もしくは、現代になって歴史として学ぶような事件が起きなかった、本当に平和な地域だったのかも知れません。

廃藩置県が行われたあと、日本の国名地図は変わることはありませんが、世界の国名地図は、今でも少しずつ変わっています。
平和的に変わっているところもあれば、未だに武力で変えようとしているところもあります。

地図の変更の記録は、100年後には歴史として、子どもたちが学ぶことになるのでしょう。


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