刑法 問題32

 甲は、愛人と一緒になるために、病気で自宅療養中の夫Aを、病気を苦にした首つり自殺を装って殺害する計画を立てた。そこで、甲は、まずAに睡眠薬を飲ませ熟睡させることとし、Aが服用する薬を睡眠薬とひそかにすり替え、自宅で日中Aの身の回りの世話の補助を頼んでいる乙に対し、Aに渡して帰宅するよう指示した。睡眠薬の常用者である乙は、それが睡眠薬であることを見破り、平素の甲の言動からその意図を察知したが、Aの乙に対する日ごろのひどい扱いに深い恨みを抱いていたため、これに便乗してAの殺害を図り、睡眠薬を増最してAに渡した。Aは、これを服用し、その病状とあいまって死亡した。Aが服用した睡眠薬は、通常は人を死亡させるには至らない最であった。
 甲及び乙の罪責を論ぜよ。

※旧司法試験 平成10年度 第1問


第1 乙の罪責
 乙の、睡眠薬を増量してAに渡しこれを服用させた行為に殺人罪(199条)が成立するか。
1 Aに手渡した睡眠薬は通常人であれば死亡させるに至らない量であった。そこで、乙の上記行為に実行行為性が認められるかが問題となる。
(1) 実行行為とは構成要件的結果発生の現実的危険を有する行為をいうところ、構成要件は社会通念をもとに違法有責行為を類型化したものである。また、行為は主観と客観の統合体である。そこで、実行行為性は、行為者が特に認識していた事情及び一般人が認識し得た事情を基礎として、行為時点に一般人の観点から構成要件的結果発生の現実的危険があったか否かで判断すべきと解する。
(2) 本件では、Aに対して増量した睡眠薬を渡せばAのもつ病状と相まって死の結果が生じ得ることを乙は認識していたといえる。そして、それを基礎として一般人の観点から考えると、病気の者に多量の睡眠薬を渡せば死亡する結果が生じ得ることは、死の結果が発生する現実的危険があったと考えることができる。したがって、乙の上記行為に実行行為性が認められる。
2 また、A死亡という殺人罪における結果が発生している。
3 では、上記行為とA死亡結果の間に因果関係が認められるか。
 因果関係は行為の持つ結果を惹起する客観的な危険性が実際に結果へ現実化する過程をいう。そこで、因果関係の存否は、行為の有する危険性が結果へ現実化したか否かで判断すれば足りると解する。
 本件では、乙の、増量した睡眠薬を渡すという行為のもつ危険性が現実化したことによりAがこれを服用し死亡の結果が発生しているため、因果関係は認められる。
4 また、乙は、Aの「殺害を図」るつもりだったのであるから、故意(38条1項)も認められる。
5 したがって、乙の上記行為に殺人罪が成立し、乙は同罪一罪の罪責を負う。
第2 甲の罪責
 甲の、Aを殺害する準備行為として乙に睡眠薬をAに渡すよう依頼した行為に殺人罪が成立するか。
1 甲は、Aを首つり自殺に見せかけて殺害する計画だったのであり、睡眠薬をAに渡すよう依頼した行為であっても「実行に着手し」(43条本文)たということができるか。
(1) そもそも、未遂犯処罰の根拠は、構成要件的結果発生の現実的危険を惹起した点にあるから、かかる危険が惹起された時点で実行の着手を認めることができると解する。そして、行為者の主観は行為の危険性に影響を及ぼすため、行為者の計画も上記危険の判断要素になると解する。
(2) 本件では、Aに睡眠薬を飲ませることは、Aを昏睡状態に陥れて抵抗を防ぎ、Aを確実かつ容易に殺害するために不可欠な行為であるといえる。また、乙は甲の補助者であることからすると、甲の指示に乙は従うことが考えられることから、甲が乙に、Aが服用する薬とすり替えた睡眠薬をAに渡すよう指示すればそれに従うはずである。そして、Aが睡眠薬を飲み昏睡状態に陥れれば、特段の事情もなくAを首つり自殺に見せかけて殺害することが可能となる。さらに、甲の乙に対する依頼行為とその後に計画されている縊首行為とは同一の場所である自宅内において直ちに行われることからすれば、時間的場所的な近接性も認められる。
 そうだとすれば、甲の上記行為はAを殺害するための縊首行為と密接性がありかつ客観的な危険性のある行為ということができるから、上記行為の時点でA死亡に至る現実的危険が生じていたといえる。
 なお、乙を介して睡眠薬をAに手渡した行為に間接正犯として実行行為性を認める構成も考え得るが、上述のとおり乙は甲の補助者であり道具にすぎないため、端的に甲の依頼行為に実行行為性を認めるのが妥当だと考える。
(3) したがって、上記行為により「実行に着手」したといえる。
2 また、A死亡という殺人罪の結果が発生している。
3 そうだとしても、甲が乙に、Aに睡眠薬を手渡すように指示した後、乙は甲の意図に気づいて睡眠薬を増量して手渡すという行為が介在している。そこで、甲の上記行為とA死亡との間に因果関係が認められるかが問題となる。
(1) 前述の基準で因果関係を判断すると、本件では、甲の上記行為の後、第三者である乙の上記行為が介在している。これは、甲の上記行為に起因する行為ではあるものの、甲の上記行為は第三者に殺害を決意させて死に至らせる危険までをも有しているとは評価できない。
(2) したがって、甲の上記行為の有する危険性が現実化したとはいえず、因果関係は認められないことから未遂犯が成立するにとどまる。
4 さらに、甲に故意も認めれる。
5 よって、甲の上記行為に殺人未遂罪が成立し、甲は同罪一罪の罪責を負う。
以上


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