刑法 問題29

 甲及び乙は、友人Aに対して、二人で殴る蹴るの暴行を加え、傷害を負わせた。甲及び乙は、Aを甲のアパートに連れて行き、傷の手当てをしていたが、Aが次第に高熱を発し、意識もうろうの状態になったため、Aが死亡するかもしれないと思ったものの、発覚を恐れ、放置しておくこととした。しかし、その後、乙は、Aがかわいそうになり、甲の外出中にAを近くの病院に運ぴ込み、看護婦に引き渡した。ところが、当時、その病院の医師が、たまたま外出中であったため、手遅れとなり、Aは、甲及び乙の暴行による内臓の損傷が原因で死亡してしまった。
 甲及び乙の罪責を論ぜよ。

※旧司法試験 平成8年度 第1問


1 甲乙の、Aに対してした、殴る蹴るの暴行は、人の生理的機能を害する行為であるため「傷害」したといえ、傷害罪の共同正犯(60条・204条)が成立する。
2 甲乙の、Aが死亡すると思いつつ放置した行為に殺人罪の共同正犯(60条・199条)が成立しないか。
(1) 本件では、甲乙は、Aを放置するという救助等の期待された行為を行わなかったにすぎない。そこで、このような不作為でも殺人罪の実行行為性が認められるか。不真正不作為犯の実行行為性が問題となる。
ア そもそも、実行行為とは、法益侵害の現実的危険を有する行為をいうところ、不作為もかかる危険性を有し得るため実行行為たり得る。もっとも、自由保障の見地から、作為との構成要件的同価値性が認められる場合、具体的には①作為が可能かつ容易であることを前提に、②結果防止のための法的作意義が認められる場合に、不作為の実行行為性が認められると解する。
イ 本件では、A宅の近くに病院があり、救急車や自分たちでAを病院に連れていくことは可能かつ容易であったといえる。
 また、そもそもAの生命が危険な状態に陥ったのは、甲乙が先にした殴る蹴るの暴行が原因となるものである。そして、A宅いう他人に目につかないところに運んだ以上、Aの生命は甲乙に排他的に依存していたといえる。これらの状況を考えると、甲乙にはAを救助すべき法的作為義務があったといえ、実行行為性が認められる。
 なお、AはA宅内で生命の危険が生じていることから、A宅内で不作為による実行行為があったと評価できるため、後に乙がAを病院に連れて行ったとしても、かかる結論に差異はないと考える。
(2) そして、A死亡という殺人罪における結果が生じているところ、この死亡の結果は病院にたまたま医師がいなかったことから生じたとも考え得る。そこで、甲乙の不作為とA死亡の結果との間に因果関係が認められるか。その判断基準が問題となる。
ア そもそも、因果関係とは、実行行為の有する結果を惹起する客観的な危険が実際に結果へと現実化する過程のことをいう。そこで、因果関係の存否は、行為の有する危険性が結果へ現実化したか否かで判断すべきと解する。
イ これを本件についてみると、Aが危険な状態になってから甲乙は適切な治療を受けさせないままにしており、高熱を発し意識もうろうというAの生命に危険を生じさせている。だとすると、のちに運んだ病院に医師がいなかったという事情が介在したとしても、A死亡の直接の原因を作出したのは、Aを危険な状態になるまで放置した甲乙であるということができる。したがって、甲乙のAを放置した行為がA死亡の結果発生に決定的に寄与したといえるから、甲乙の不作為の有する危険性がA死亡という結果に現実化したといえ、因果関係が肯定できる。
(3) そして、甲乙は、「Aが死亡するかもしれない」と思っていることから、少なくとも未必的な故意(38条1項)は認められる。
(4) したがって、甲乙の上記行為に殺人罪の共同正犯が成立する。
3 以上により、甲乙の行為に、傷害罪の共同正犯と殺人罪の共同正犯が成立するものの、前者は後者に吸収され包括一罪となり、甲乙は同罪一罪の罪責を負う。
 なお、中止犯(43条ただし書)は未遂犯(43条本文)にしか成立し得ないため、既遂に至った乙には適用できない。
以上


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