刑法 44


問題

 製薬会社の商品開発部長甲は、新薬に関する機密情報をライバル会社に売却して利益を得ようと企て、深夜残業中、自己が管理するロッカー内から新薬に関する自社のフロッピーディスク1枚を取り出した上、同じ部屋にあるパソコンを操作して同ディスク内の機密データを甲所有のフロッピーディスクに複写し、その複写ディスクを社外に持ち出した。その後、甲は、ライバル会社の乙にこの複写ディスクを売却することとし、夜間山中で乙と会ったが、乙は、金を惜しむ余り、「ディスクの中身を車内で確認してから金を渡す。」と告げて、甲からディスクを受け取って自己の車に戻り、すきを見て逃走しようとした。乙は、車内から甲の様子を数分間うかがっていたが、不審に思った甲が近づいてきたことから、この際甲を殺してしまおうと思い立ち、車で同人を跳ね飛ばして谷底に転落させた。その結果、甲は重傷を負った。
 甲及び乙の罪責を論ぜよ(特別法違反の点は除く。)。

※旧司法試験 平成13年度 第2問

答案

第1 甲の罪責
1 甲が、自社の機密データを自分のディスクに複製して持ち出した行為に窃盗罪(235条)が成立するか。
 機密データは情報であるため、それ自体は「財物」にあたらない。もっとも、媒体に情報が化体されていれば「財物」性が認められ得る。
 本件では、ディスクに機密データが化体されているため、「財物」性が認められるとも思える。しかし、媒体であるディスクは甲の所有物である。したがって、「他人の財物」にあたらず、窃盗罪は成立しない。
2 そうだとしても、会社の機密データが記録されているディスクをロッカーから取り出して複写した行為につき業務上横領罪(253条)が成立しないか。
(1) 「業務」とは社会生活上の地位に基づき反復継続して行われる事務をいうところ、甲は会社の社員であるためこれにあたる。
(2) また、甲は、「他人の物」にあたる会社の所有物であるディスクを取り出している。もっとも、これが甲が「占有」しているといえるか。その意義が問題となる。
ア この点、上下主従関係にある場合、通常下位者は占有補助者にすぎないため占有は認められない。もっとも、両者間に高度の信頼関係がありある程度の処分権が下位者に認められている場合は、下位者に占有があると解する。
イ 本件では、甲は商品開発部部長であり、会社と甲の間には高度の信頼関係がありある程度の処分権が甲に認められている。したがって、甲に占有があると解する。
ウ よって、上記ディスクは「自己の占有する他人の物」にあたる。
(3) では、「横領した」といえるか。その意義が問題となる。
ア この点、「横領」とは不法領得の意思を発現する一切の行為をいう。そして、横領罪においては占有が両得者に移転している以上、不法領得の意思とは、委託の任務に背いて権限がないのに所有者でなければできないような処分をする意思をいうと解する。
イ 本件では、甲は、権限がないのに、ライバル会社に売却するために上記行為に及んでいる。これは所有者である会社でなければできないような処分であることから、不法領得の意思が認められる。
ウ したがって、「横領した」といえる。
(4) また、甲に上記行為につき認識・認容があり故意(38条1項)が認められる。
(5) よって、業務上横領罪が成立する。
3 以上により、甲は業務上横領罪一罪の罪責を負う。
第2 乙の罪責
1 乙が、嘘をついて甲からディスクを受け取った行為に詐欺罪(246条1項)が成立するか。
(1) 乙は、金を払うつもりがないのに「車内で確認してから払う」と甲を錯誤に陥らせて「財物」であるディスクを交付させているため、「人を欺いて・・・交付させた」といえる。
(2) また、上記事実につき認識・認容があり故意も認められる。
(3) したがって、上記行為に詐欺罪が成立する。
2 では、甲を車で跳ね飛ばした行為に強盗殺人未遂罪(243条・240条後段)が成立するか。
(1) 乙が「強盗」といえるか。乙は、ディスクの売買代金の支払いを免れたといえるため、2項強盗罪(236条2項)の成立を検討する。
ア まず、車で跳ね飛ばす行為は、相手の反抗を抑圧するに足りる「暴行」(236条1項)といえる。
イ では、売買代金を免れたことが「財産上不法な利益を得」たといえるか。
(ア) この点、前述のとおり甲は業務上横領罪に該当する行為によりディスクを入手している。これを売却することは民法90条に反することから、そもそも甲に財産上の損害はないとも思える。
 しかし、これを「利益」と認めないと社会秩序維持という刑法の機能に反する。したがって、民法上許されない債権でもこれを免れた場合には「利益を得」たといえると解する。
(イ) よって、乙は「財産上不法な利益を得」たといえる。
ウ また、強盗罪は、財物移転に対する「暴行又は脅迫」が必要なところ、相手の反抗を抑圧するに足りる暴行又は脅迫を手段として用いるため、処分行為をなし得ない場合もある。したがって、被害者の処分行為は要しないと解する。
 もっとも、1項強盗との均衡上、直接的、具体的かつ確実な財産的利益の移転が必要だと解する。
 本件では、甲を谷底に落とせば事実上代金の支払請求することができなくなるため、直接的、具体的かつ確実な財産的利益が乙に移転したと認められる。
 したがって、財物移転に対する「暴行」が認められる。
エ また、乙の上記事実につき認識・認容があるため故意が認められる。
オ よって、乙に2項強盗罪が成立するため、「強盗」といえる。
(2) もっとも、乙は甲を殺してしまおうと思っていることから、240条後段の「死亡させた」には故意ある場合も含むかが問題となる。
 そもそも、240条の趣旨は、強盗に際して人の死傷結果を生じさせることが犯罪学上顕著であるから、人身保護を図るべく重い法定刑を科す点にある。だとすると、故意ある場合も「死亡させた」にあたると解する。
 したがって、本問でも240条の適用がある。
(3) 甲は重傷を負ったにすぎず殺人の結果が発生していない。そして、240条は主な保護法益が被害者の生命・身体にあることから、既遂未遂の判断は殺人の結果について判断すべきであると解する。
(4) したがって、乙の上記行為に強盗殺人未遂罪が成立する。
3 以上により、乙の行為に詐欺罪と強盗殺人未遂罪が成立するものの、前者の法益が後者にも含まれるため、強盗殺人未遂罪のみが成立する。よって、甲は同罪一罪の罪責を負う。
以上

論点

窃盗罪 横領罪 詐欺罪 強盗殺人未遂罪
財産犯における「財物」性
「占有」の意義
「横領」の意義
民法90条違反の「利益」性
2項強盗罪における処分行為の要否
240条は故意ある場合も含まれるか

条文

235条 253条 246条 236条 240条

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