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父トシハルの教え⑩「知ったこっちゃない」

父に会社の些細なことで悩んだり相談したりするとたいてい

「知ったこっちゃない」

という答えが返ってきて非常にむかついていた。


相談しているのに失礼な話ではないか。
私はこの言葉が長年大嫌いだった。

今から3年くらい前関西人が「知らんけど」を語尾につけることを知った。
最初はなんだか嫌な気がしたものだ。

すごく不親切だし無責任な言葉に思えていたから。

その頃の私はどうも親切すぎたらしい。言い方をかえるとお節介すぎた。

人の課題を自分のものとして永遠と悩んでしまうところがあった。

何か起きた時、本人以上に周りが心配すると本人のためにならないものである。

「心配は毒ガス」と母サチもいっている。

何か起きた時に必要なのは「心配」ではなく「信頼」なんだと思う。

本人にを信じてまかせて、自分で解決できるのを見守る。

手や口を出したほうが何倍も早く解決することがある。
でもそれは、おなかをすかせた人に魚をあげるような行為で
その人は自分で魚をつれるようにならない。
大事なのは魚が釣れるようにすること。

それも魚が釣りたいと本人が思ったときに教える。
どんな魚が欲しいかというのも人それぞれだから。

人の問題が気になってしょうがないのは、自分の課題にちゃんと向き合っていない時である。自分の課題を本気でやっていたら、些細な問題に首を突っ込むような暇はない。

父トシハルはいつも自分に課せられた大きな課題に取り組んでいたし、ただ本当にめんどくさいだけだったかもしれないけど、たぶん後者の割合が高いと思う。めんどくさいも才能ですから。発明者としては。

つづく

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