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ぴろみん社長のひとりごと「課題はレッスン」

私に多くの課題を与えてくれたのは、
3年前に亡くなった父だったんだけど。

ラスボスとの戦いを終えて
今は随分と落ち着いている。

ラスボスのことを
人はマスターとか師匠とか呼んだりする。

ラスボスの戦いを終えたとは、
マリオのゲームの一通りをやり終えて
あとは気分でステージを選べばいいという状態。
←わかるかなこの表現。

ちなみに私は自力でマリオを制覇したことは
一度もない(笑)

とはいっても、ラスボス級とは言わないけど、ちょっとした課題が与えられることはまあまああるもので。

人生は飽きないようにできている。

課題がきたら、「レッスンがはじまった!」と思う。

今回のレッスンはいったいなんだろうか。

まだ許しきれていないことってなんだろう。

今回のそれは、まだまだ人に期待していたことだった。

勝手に期待して、勝手に怒って、勝手に絶望した。(1人で勝手にやった)

「このくらいしてあげているんだからこのくらいしてくれて当然!」

「人としてこのくらいしてくれて当然!」とか思っていたこと。

そんなものはないんだよね。
当然のことなんてひとつもない。

そもそも「してあげている」が大きな間違い。

したいならすればいいし、してあげたなんて言うくらいならしなくていい。

ただ「したい」だけでいい。

また一つ許しが増えた気がする。




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