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⑥ひろみん社長の受け身全開の高校生だった話

初めての受験をして高校に入りました。

一つ上の兄が行っていた高校が私のレベルにはちょうどいい高校だったのですが、兄弟で比べられることが面白くなかった私はそこを避けて高校を選びました。

その学校はランクを落としたので学力的に余裕で、滑り止めの私立高校が受かっていたので受験前から調子に乗って家族麻雀とかして遊んでいました。(掛け金はみかんで)

もっと上の高校を選べばいいのに、その頃の私はとにかく失敗がこわかったからです。模試でAランクのところしか受けないという石橋たたいて渡るタイプ。失敗を恥と思っていました。(まだいい子でしたね)今思うともったいない話です。

余裕だと思っている公立高校を受ける直前、親から「私立のほうが面倒見がいいらしいからこのまま私立にいったら。」と言われて、通うのも楽だしもう勉強しなくていいし、それもいいかもと思った私は直前に公立受験もやめることにしました。

その頃から判断基準が「楽」だった!(この「楽」の選び方はよくない方の選び方です。)

 入った学校は、文系私立の付属だったので、そのままエスカレーターで大学に入る人がほとんどで、理系で別の大学にいきたい私は「マイノリティー」でした。

でも居心地は中学生のときよりもずいぶんよくなり、面白いお友達もできて、部活も勉強も両立させながら楽しく順調な高校生活を送りました。

 楽しいんだけど、このころはいつも心の中はすきま風がピューピュー吹いていました。順調と充実って全く違うことなんですよね。周りからみてどんなに順調だとしても本人の心が満足していなければ充実とはいえない。

このころの私はとことん受け身だったからです。自分からチャンスをつかみにいくことをせず、そのときの現状に甘んじて生きていた。若年寄みたいなもんですね。

その頃、電車登校をしていたのですが、冬に雪が降りました。
私が頑張って登校しようとすると父が「雪なんだから休めばいいのに。バカか」といったのです。確かに一理あるなと思ったので、風邪ということにして休むことにしました。

次の日学校にいったら、友達が先生から「あいつ風邪ひいてたか?」と聞かれたらしく、ずる休みはバレていたものと思われますが、先生も深堀せずそっとしておいてくれました。

我が家は、他の家庭と違って、他の人と同じではいけない。常識を疑えというマイノリティー教育をしていました。多分無意識に。その中で私は必死に普通を装おうとしていたわけです。

兄には、「お前は普通を装おうとしているけど、バレてるからな」と言われていましたが、その頃はまだ普通を装っている自覚はそんなにありませんでした。今思えば私は上手に普通を装うことができていたと思います。自分の本心に気づかずに。

ここ数年でわかったのは、一般的な家庭では、普通でなければならないという教育をしていることです。「出る杭は打たれる」と。我が家では「出過ぎた杭は打たれない」と言われています。

普通であってはならないという一方で、普通を装うことができた私は表面上はうまく生きることができた。どちらを選んでもいい中で普通を装う選択をしたのは自分でした。

でも普通を装いすぎると本当の自分がわかならくなるのです。本当の自分がそろそろ暴れだします。

あなたは普通を装っていませんか?本当の自分が暴れだしていませんか?

つづく

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