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⑤ひろみん社長の「いい子」を卒業した話

中学校に入った生活は、朝練もあって部活一色になりました。小学校のときからの親友の誘いで一緒にバドミントン部に入った私。体験入部でものすごい筋肉痛になったのをいまだに覚えています。


私のクラスには、バドミントン部は私しかいないのにクラスの先生のホームルームの話がすごく長くて部活に行くのが一番遅くなるのが不満でした。


私がイライラして顔にだすからさらに怒られて残されたりとか。

その時から正直だったな。というかすごくやりにくい生徒だったと思います。正義感が強くて、正論を振りかざす人だったから。


その先生のおかげと反抗期も手伝って、私は「いい子」からさっさと卒業することができました。「いい子」ってつまらないんだもの。いい子って大人にとって都合のいい子なんですよね。

(このいい子卒業は、まだ序ノ口で人生の中で何度もいろんないい子卒業がやってきます)


余談ですが、学校の先生ってもうちょっとおしゃれだったら全然ちがうのになーと思うんですよ。先生と生徒である前に人として好きになっていたらいろんなことがうまくいくはず。最低限のおしゃれと清潔感が欲しい!


今思うと女性の先生は苦手でした。話が長くて要領をえないから。女性は女性に対する目が必要以上に厳しいんですね。気を付けましょう。


九州男児の父が男尊女卑でそれが染みついちゃったのもあると思います。若くて可愛い先生は好きだったし、男性の先生のときは、私の学校生活はいろいろあっても平穏でした。

姉と兄が同じ学校にいたので先生によく比べられました。「あなたのお姉さんはもっとちゃんとしてたのに・・・」とか「お兄さんのほうが勉強できる」とか。

先生はきっともっとよくなってほしくて言っていたのでしょうね。「先生、もっといいところをほめてください」と今の私なら言いますがその頃はまだそこまで機転が利きませんでした。

中学校1年生のときに、それまで住んでた小さな借家から、100坪のでっかい古民家に引っ越しました。小さな家では仕事ができなくなってきたことと、犬が2匹いたからです。大型犬と中型犬のためにその家に引っ越したようなものです。

私の部屋は、それまで部屋がなかったのに、急に18畳の和室になりました。単にあまっていたのがその部屋だったわけですが。

家の裏に竹林、まわりにたくさんの柿やビワ、ザクロなどがなっているその家は、とても豊かな気持ちにさせてくれたし、大家さんからたくさんのお野菜をもらったり、農家さんのお米をわけてもらったりして、身も心もいいもので満たされていきました。

国内外からたくさんの人が集まるその家は私たちを大きく成長させてくれました。今そこはそのままメカの本社となっています。

つづく

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