5.船舶設計から機械設計への転向

人生初の転職、初出勤の前日は一睡もできなかった。
基準となる職場が造船所時代しか無かったため、どんな強面が居るのかとか、怒鳴られたらどうしようとかそういう事ばかり考えてしまって眠れなかった。

いざ当日を迎えてみると、強面も怒鳴り散らす人も居なくて平和な職場だった。拍子抜けした。
しかし造船所時代とは別の苦労が待っている事を、この時は知る由もなかった。

この案件では半導体製造装置の設計を行っていて、まず任されたのは三面図作成。
3D CADで作成されたパーツが多数あり、それら全てに対して三面図を書くという作業。いわゆるバラシというやつだ。
造船所時代は三面図を描く下流工程の方々が居て、見る機会も描く機会も無かったため、描くのはほぼ初めてと言っても良い。
作業自体は簡単に覚えられたが、その物量が膨大だった。

毎日0時前ぐらいにしか帰ってこれず、食事もコンビニしか開いていないため毎日がコンビニ弁当。
家事もろくに出来ない(特に洗濯)。どうしてもやりたい場合は睡眠時間を削らないといけない。
そして何より、自分が具体的に何の作業をしているのか分からないし教えてもらえなかった。半導体製造装置の仕組みや全体像、どういった種類があるのかという事全て何の研修も無かった。
私に仕事をくれる人に質問をしても「俺達は何も知らない状態からいきなり設計をやれと言われて今までやってきた。君も慣れてくれ」との返事。
とにかく三面図を1つでも多く仕上げる事が優先らしい。
やがて自律神経のバランスを崩してしまい、朝日が眩しくて目を開けられないとか、理由も無くお腹を壊したりする日が増えた。
転職早々に潰れてしまうのはヤバイと感じて直談判の結果、水曜日だけ定時で帰るという約束を取り付けられた。

どうにか仕事に慣れてきて3ヶ月ほど経った時、私自身も情報収集に勤しみ断片的ながらようやく幾つかの情報を得られた。
・半導体製造装置といっても色々あり、現在携わっているのは後工程と呼ばれる領域である事。
・コンプライアンス遵守の観点で、私みたいな派遣社員には徹底して情報の秘匿がなされている事(仕様書、スケジュールなど全て)。
・私みたいな派遣社員は詳細設計しかさせてもらえず、関係部署との会議や構造計算、流体力学の計算などの仕事は社員が担当するという事。

造船所時代は明確に設計者というポジションに居たが、ここではメーカー正社員と派遣とで業務がキッパリと別れており、図面に関する業務以外は殆どやらなかった。
製造も外部委託(いわゆるファブレス)となっており、描いた図面を元にどんな製品が出来上がるのか実物を見る機会が殆ど無く、強いて言えば社内でしか使わないプロトタイプのような製品の開発であれば見る事が出来た。

また、船舶設計との違いが多数あり慣れるまでは苦労した。
寸法公差という概念を知る。船舶では図面と10mm前後ズレるなんて日常茶飯事だったからだ。
正規分布という概念を知る。船舶では同じものを多数作るという事があまり無かったためだ。
配管図の描き方も違っていた。具体的にはバルブなどのシンボルが違うのだ。
BOM (部品表)を作るという作業も初めてだった。船舶では下流工程がやってくれていたためだ。

設計に対する考え方も違っていた。船舶ではとにかく他区画と設計思想を合わせるという事に重点が置かれていた。独創的なアイデアは許されない。
他区画と違う箇所があると顧客からクレームが来るからだ。「他の区画では違っていたぞ」と。
ところがこの案件ではそうではなかった。他は他のやり方、担当する装置において設計が成り立つかどうか、内容物がきちんと装置に収まるかという事に重点が置かれていた。

中でも印象に残っているのは、バルブやレギュレーターなどいくつかの空圧機器を収められる、なるべく小さい箱の形状を考えろと言われた時の事。
ただ箱を作るだけではない。故障時にメンテナンスが出来るようネジによる組み立て式にする事、エア配管用継手の施工スペースを確保する事、雰囲気遮断のためになるべく密閉構造にする事……挙げたらもっとあるが様々な事を考えなければならず、造船所時代から含めて今までで一番難しい仕事だったと言っても良い。

長きに渡る残業の末ようやく図面が完成したが、上層部の方針変更により日の目を見る事が無かったのが残念であった。

最初の時こそ苦労が多かったものの結果として4年もの歳月をここで過ごす事になった。
そろそろ次のキャリアを考えて面接を受けに行ったりするも、またしても試練が待ち受けていた。

続く。

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