そうまでして得た未来

双極症の診断がついて4年ぐらいになる 
実際に病歴としては6年ぐらいになりそうなので
僕のライフステージは上手く進んでいないのが現実だ。
同僚が妊娠報告してきてガチで泣いた女医さんのツイートを見たが
かつての同輩たちが指輪を輝かせながら医師として働く中
そこにポリクリ生として指示を仰ぐ僕は泣きわめくどころでは済まないが
泣くと完全に敗北なので泣かないが、気分としては以下の引用の通りである。

曾ての同輩は既にはるか高位に進み、彼が昔、鈍物として歯牙にもかけなかったその連中の下命を拝さねばならぬことが、往年の儁才(しゅんさい)李徴の自尊心を如何いかに傷つけたかは、想像に難くない。

インターネット基礎教養:山月記より

留年しまくってる、遊びまくっててかつ、のろまなヤツだと思われた方が、
精神科疾患のかわいそうなヤツ、かつ怖いヤツ(特に双極性障害なんて申請すればかならず3級の精神障害者として認定されるような重度なものだ)
と思われるよりも100倍マシに感じるので隠せるものなら隠したいと思って生きているところである。たまに病気が原因で大穴を開けた時に事情を説明することはあるが、医学部附属病院といえども精神科疾患に対してキレイな理解というものは得られないので、なるべくこのカードは切らずに生きていく方が良いのだろうと確信している。

思えばここまで長い道のりだった。
まず双極性障害と診断を受けるまで壮絶な戦いがあり
入院して退院したと思ったらいくつもテストを受け
すべて受かってなんとか首の皮一枚繋がったと思って
このまま予定のコースに戻るぞと思ったら休学を推奨され
そこからコロナが始まりなかなか予定通り進まずもう1年休学
やっとすべてが整ってから念願の臨床実習まで来た

そのためにどんなに危険な薬でも飲んだし、実際に重たい副作用を
何度か発症することもあったし、不治の病である双極性障害は、基本的な薬を飲み続けることによってもいろんなリスクがある。僕が入院することを家族に納得させるのも僕の仕事だった。
とにかくいろんな辛いこと、やりたくないことをやってきたのは
明るい未来を夢想することによって、であった。

それがどうだろう、頑張って戻ってみれば班員とは高頻度で揉め、
病院見学に行けば同じように留年しまくっていた研修医からその研修医以下の存在として謎の中傷を受けるハメになる。
耐え難きを耐え、忍びがたきを忍んだ結果がこれなのかと思う時がある。
もちろん僕は罪なき精神科疾患の患者として、診断を受けてからは、文字通りベストを尽くしてきた自負がある。僕以上に理想的な患者は存在しないと思っているぐらいだ。

自殺の予期は難しいという話が話題になっていたが、
結局治療に対するモチベーションというか、現世に対する執着
こういったものは必ずしも客観的に見て苦しいときではなく
思い描いた未来が、本当に自分が戻れる現実と比較して
あまりにもかけ離れているとやばいのかもしれないなと思うところだ
そして苦しいことというのはそれなりに明るい未来を見込むからこそ
耐えられる部分があるので

こういう経験を持っていると、治る気があるのか無いのかわからない患者の心理状況というものに対して、かなりイライラしそうだなと思ってしまって、精神科医はあんまり向いてないなと思うようになり、精神医学というのは面白い分野だなと思うものの、僕は内科医のほうが向いているなぁと最近になって思ってきた。


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