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ふと、なにを思ったのかはさだかではない

世迷い言である。
何言ってんのこの人って自分でも思った。恥は書き捨て。
みやすいとか。ためになるとか。ない。


自分の顔をどれだけ鮮明に描けるのか?鏡を見たとき自分とわかる?これだけ付き合ってきた自分の顔にどれだけ思いれがあるのか?気に入っている気に入っていない?“自分”をみているのに自分の顔を思い浮かべても鏡をみるまで出てこない。いや、イケテる顔と言われるナルキッソスは自分の顔に狂ってしまうほど常に自身の顔に酔いしれているのだろう?しかし、描けるほど頭にあるだろうか?鏡をみた自分に酔いしれてはいるが脳から描く自分を知っているのか?

昨日、TVをみていると倉庫をよく目にした。
段ボール箱を積み上げた映像を見たとき。
水槽の中の金魚を育てるかのように、僕らの脳ミソを管理収納されている世の中の発展と倉庫があった。自由に各自がバーチャル空間を生きる私であった時を想像したのである。
(全てがバーチャルの世界物語アニメの中で語られてきた世界を想像したとき、肉体が無くなり脳だけ収納、貯蔵、管理出来る環境が整った場合なんて空想の世界に旅立ってしまった)

例えば、脳ミソは視覚触覚聴覚味覚嗅覚感覚とありとあらゆるものが感じていて、食事も実際は、脳ミソを生存させるためだけの水溶液を摂取している。映像の世界で肉を切って味わったり出来る世界まで世の中が進んだとき。楽しみは果てなくあるのか?途中で飽きて死にたくなるのか?
(ルパン三世 ルパンVS複製人間 マモーの脳ミソのよう)
迷走してしまった。

じゃあ自分の顔は?自分の顔ってどうなんだろうと…無駄に思いを巡らせた。各々が自由に好きな俳優、モデルの顔を選び位置付け楽しんだ後に、懐かしく現世の自分の顔を欲しくなる。
劣等感も懐かしく、あんなに嫌いだった私の顔を選ぶのか?好きな選び放題の顔を転々とするのか?
美顔信仰は対誰かとの接触行為のためだったことに気がつき自分の顔がいとおしくなるのではと思った。

なのに、今現在の私は、その顔に可もなく不可もなくでいて、だとするのに自分の顔を思い浮かべることも出来ないでいる。と、気がついたのである。

自分の顔を知らない

この脳ミソは不老不死の話。世の中でそれが訪れたとき、人はどの顔を選ぶのか?自分を選ぶのか?アイデンティティーは?
バーチャルの世界で美顔でも脳ミソ人間なのだから性交渉もバーチャル、仮面を選ぶ日もあれば、本来の一番お気に入りの自分で生きるときもある。相手には本来のあなたを求めると思う。綺麗な顔や不細工もないあなたの本来の顔に価値がある。


ぼやけた自分の顔を思い浮かべのは止めにしよう
自分の顔を思って描けるくらい責任を持とう
自信はない。しかし、自分自身はこの中にある



訳のわからない世迷い言と済ませられない、私の現実の決断なのである。

バーチャルでなんでもいいなら、今の顔に豹の顔を張り付け動物人間として生きる選択もある。
でも私は、今の私の顔を一番に愛することにする。


収納庫)
AmazonCM、半沢直樹、サマリーポケット、自宅の雑誌。
情報元から子どもになれた日。

何言ってんのという今日の氣分。


なんでもない代表 美坂 しんいち

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