貧困からの風俗堕ちについて

今更ながら岡村の風俗堕ち発言のことを考えていた。

下衆いという印象は変わらないまでも、署名までして叩かれることなのかという思いは変わらない。
当時は「おっそうか、公共の電波に乗せてなんてことを」とは思ったけど深くは考えてこなかった。

風呂堕ちということは、実際普通に働くより稼げるらしいということで。
肉体労働、精神的負担の大きい仕事だと思う。その見返りとしてお客さんが大きなお金を払ってくれる。身体を張った大変な仕事への見返りなのだから大きくて当然だとも思う。
そして手っ取り早く経済が回った証が手元にきて明日の生活保障になるってことで。

働く手段としてはなかなか世間に認められないものがあるのかもしれないけど、風呂堕ちする人にとっては可及的速やかに明日生きるための手助けな訳で、それを否定したり非難するのは例えば貧窮して明日のご飯にも困るような人が生きようとするのを第三者の手でストップさせるような気がしてしまう。
お客様いてこその仕事であることに変わりないし、生きることが難しくなってしまった人の手っ取り早い救済措置みたいにも思えてしまって。

本来なら生活保護を申請することもきっとできるのかもしれないし、他にも手段はあるのかもしれない。
でも手を伸ばせばすぐその日食べられる分だけのお金がもらえるのならやむなしと思う人もいるかもしれない。

「かもしれない」ばかりなのは現実問題そこに触れられる場所にいないから、わたしも机上の空論で甘えたことを言っているだけだったりするのだろう。

でも、そこに逃げ込む人まで追い込むような言葉で逃げ道を塞ぐ風潮になってしまうのはもっと問題のような気がするのだ。

ただでさえ後ろめたい気持ちを持ちつつも今日明日救われたくて伸ばそうとしていた手が、あの件を社会が糾弾することでもっと自分を追い込んで引っ込めてしまうのではないかと。そして悲しい結果になったりはしないかと。

ほんとうはこんなこと考えなくて済むような社会になれば一番いいのだけど。

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