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周囲と自分とのずれ

こんばんは。今日は日記的な何かです。

サークルに同窓会があるのですが、今日はその幹部役員の方と新旧の現役役員の一部、顧問の教授が集まって話す会がありました。私も前代表として参加しました。私が話すのは自己紹介だけなのでそれ自体は別に良いのですが、周りの話を聞いて気づいたことがあったので書きたいと思います。

昨年の定期演奏会を中止したことを受けて、同期や後輩が「悔しい」と言っていました。しかも、顧問の先生がそれについて、私をはじめ「自分たちで団を作っていこうとしていた学年がかわいそう」とコメントしていたことに、違和感を覚えたんです。

まず、私は定期演奏会の中止を「悔しい」とは思っていなかったんです。そういう「本当はやりたい」を前提とした議論ができるほど、リスクを引き受ける強さを持ち合わせていなかったから。ホッとしたというのが本音でした。そして、ギリギリの状況で精神的に生き延びるためにその手の感情を抑圧していたから。感情のスイッチをできるだけ切ることで、マネージャーとしての仕事をこなそうとしていました。そのせいもあって、今でも悔しいという感情はありません。

そして、「かわいそう」は同情としてなら優しい言葉かもしれませんが、どうしても上からの言葉に聞こえるんです。そりゃ顧問教授をしていただいている方なので上からになるのは仕方ないと思うのですが。どこかざらつきを残しました。

ともかく、この会が終わったことで、晴れて自由の身になりました。実はもう一つ仕事が残っているのですが、それは大部分を別の人が担っているのでまあ形だけ。

微妙な気持ちになり、感情表現は考えものだなあと思いました。

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