『銀杏の駒音』を読む

 11月23日、東京へ行った際の豊橋への帰り道。
 私は『銀杏の駒音』を読んでいた。
 今日はそれを読んで思った感想を備忘録として残しておく。


 まず、『銀杏の駒音』とは何か。
『銀杏の駒音』というのは東京大学将棋部が毎年発行している部誌である。
 主に、1年間の東京大学将棋部の活動結果が書かれている。
 メインの記事は、

参加した学生将棋大会(個人戦、団体戦)の自戦記

である。

 だが、『銀杏の駒音』には大会における将棋の進行(棋譜・結果)が淡々と書かれているわけではない。
 当事者の大会・将棋に対する思い、その対局中の心境なども書かれている。
 そこには、大会に込められた選手(部員)たちの熱き思いが示されているのである。


 さて、私が『銀杏の駒音』を読んで思ったこと。
 それは、「プレーヤーっていいなあ」ということである。

 現在、私は「プレーヤー」という立場にいない。
 まあ、デレステに関しては「プレーヤー」かもしれない。
 しかし、今、将棋は指していない。
 楽器(ピアノ、トランペット)は吹いていない。
 麻雀に関しては「研究者」であってプレーヤーではない。
 というか、研究者としての中立性を維持するために、プレーヤーとしての立場は放棄した。

 さらに、私は「傍観者」のつもりでいる。
 もちろん、それは「『傍観者』でいられる状況だから」という事情もあるとしても。


 そんな私が『銀杏の駒音』を見て感じたことは

将棋を指すことの楽しさ、プレーヤーとして成績を競うことの楽しさ

であった。
 もちろん、その裏には大変さ、苦悩があるのだろう。
 そういうものがないというつもりはない。
 しかし、その大変さ、苦悩などは楽しさを得るため支払うに値するコストなのだろう、と思った。


『銀杏の駒音』を読んだとき(豊橋への帰り道)では、

また将棋を指し始めようかなあ

などと思ったりした。
 それくらい『銀杏の駒音』から得られたインパクトは強かったのである。

 とはいえ、駒場祭から帰って約5日経った現在、将棋を指す気は全くなくなっている。
 しかし、何かを始めようかな、とは思う。


 とはいえ、今の私はやることが多い。

 データベースの勉強をしなければならない。
 RUBY ON RAILSの勉強はしなければならない。
 簿記2級の勉強をしなければならない。
 麻雀研究(秋刀魚研究やアタマ研究)もしなければならない。

 そう考えると、デレステ以外にプレーヤーとして何かを始めるのは難しいかもしれない。
 まあ、当分はデレステのプレーヤーとして頑張るとしますか。

 
 では、今回はこの辺で。

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