運と技術の割合に関する考察
少し前、福地先生が麻雀における運と腕(技術)の割合に関する話をされていた。
ちなみに、私はこの手の話にそれほど関心がない。
なぜなら、この手の話は「定義による」、そして、「定義が一意的に定まらないので何でも言えてしまう」という身もふたもない結論になってしまうからである。
ただ、「砂上の楼閣づくり」もそれなりに楽しいので、私なりに「運と腕の比率」についてもっともらしい定義を行い、それに基づいて、「運と技術」の割合、つまり、運の寄与度について考察してみようと思う。
なお、運の寄与度のことを運の割合という。
こんな問題を考える。
まずは、麻雀以外の問題から。
立方体のサイコロがある(面には1から6の数字が書かれている)。
奇数の面が出たら勝ち、偶数の面が出たら負けとする。
サイコロを振ったら5が出て、勝利した。
運の割合は如何。
この点、「サイコロを振るのに技術があるのか」と思うかもしれないが、一応あると置いておく。
ささいな技術ではあるかもしれないが。
さて、運の割合はいかほどであろうか。
本来、サイコロを振れば50%の確率で勝てる。
とすれば、運の割合が100%であるというのは妥当でないだろう。
なぜなら、サイコロを振る技術があれば50%勝てるところ、運の割合が100%だとすると、寄与度の合計が
50(サイコロを振る技術による)+100(運の寄与度)=150
となり、100%を超えてしまうからである。
「運の割合が100%」という主張は「運がなければ勝てない」という意味では正しいが、運のみで勝つわけでもない以上妥当ではない。
とすれば、運の寄与度は50%とするのが妥当であろう。
ここから「運の割合の求め方」を考えることができる。
つまり、%にした場合
100-(理論上の勝率)(%)
によって運の割合を求めることができる、と。
もちろん、特定の目だけ出す技術を持っている人がいて、奇数の目を出す割合が合計75%だったとする。
すると、この場合、理論上の勝率は75%となるので、運の割合は
100-75=25(%)
となり、実力がちゃんと運の割合に反映されることになる。
以下、
100-(理論上の勝率、%)
をもって、運の割合を定量化することにする。
話を麻雀にもっていこう。
こんな例題を考える。
実力の等しい4人(それぞれの勝率25%)がトップをかけて1試合麻雀を打つとする。
そうしたら、Aが1位を取り、勝利した。
Aの勝利に対する運の割合、如何。
Aの勝率の理論値は25%であるから、運の割合は
100-25=75
となる。
つまり、
技術:運=25:75
になると言える。
こう見ると、「麻雀は技術3:運7である」などという主張とも整合する(整合したのは全く偶然であろうが)。
以上、運の割合を定量化してみた。
この話を色々と拡散して、、、みたいところではあるが、今から仕事に出かけなければならないので、今回はこの辺で。
それでは。