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“ココシャネルという生き方”という本に11歳の時に出会った

シンガポールに引っ越す時に、本当に大切な本だけ持ってきた。ビンテージのシェイクスピアやフィッツジェラルド、チェーコフなどの書店で手に入らないもの以外はほとんど置いてきた。それなのに、この1000円もしない一冊の薄くてボロボロの文庫本は、そっとスーツケースの奥底に眠りはるばる東南アジアまでやってきた。

私がこの本に出会ったのは小学校6年生の時だった。義務教育全てが嫌いで嫌いで仕方なかった私は、とにかく日常のほとんどに飽き飽きしていた。少しでも人と違う事を言えば腫れ物扱いされ、先生に向かって変わった事を言えばたとえそれが真摯な意見であったとしても反抗していると言われ、授業では教科書を読めばわかることしか教えてもらえず、とにかく何もかもがつまらなかったし、日常の大部分を学校なんかに無駄にしていることが許せなかった。そんな私を一番近くで見ていた祖父母は何も言わずにそっと見守り、いつも両親の代わりにバレエスタジオに連れていってくれた。彼らがいなければ、私はとっくにグレていたと思う。

祖父はいつも私に本を買ってくれた。というより、”おじいちゃん本が欲しい”というとすぐに本屋に連れていって好きなものを好きなだけ選ばせてくれた。学校ではプリントを解く時間などを出来るだけ短縮して残りの時間は読書をして自ら好きな事を学ぶスタイルを勝手に取っていたので、当時はありえない読書量だった。週に3回は本屋に連れていってもらって、たんまり本を買ってもらっていた。祖父に買ってもらった本は、一冊残らず取ってあって、今は祖父母宅の使われていない和室いっぱいに大切に保管されている。人生で一番、贅沢をさせてもらっていたと思う。

そんなある日書店で目に止まったのがこの”ここシャネルという生き方”という本だった。キラキラしたホログラム付きのシャネルの写真がカバーになっていてパッと目を引いたからという単純な理由で選び、いつものごとく買ってもらった。シャネルはブランドという知識しかなかった当時の私であったが、その日の夜から読み始めたら止まらなくなって数時間で読破してしまった。

第一章でこれが出てきた時点で、当時の私にグサリと刺さった。ペコペコしてばかりの情けない大人や自分を卑下して偽りの友情を大切にする周りの子供にうんざりしていたからだ。あっ、こんなふうに考えるのは私だけじゃないんだとなぜか安堵したのを覚えている。

これも幼いながらに私が毎日感じていた事だ。うんざりしていた。とにかく退屈だった。でも周りの人には分からないだろうなと思っていた。そうか、大失敗は退屈ではないのか。いまとなってはこの言葉があったからこそ、少々行き過ぎなくらい肝が据わってしまったのかもしれない。

この頃の私は自分は人と違うから、こんなにいろんなことが嫌になるんだと思っていた。でもこの言葉に出会ってから、人と同じではダメなんだと幼いながらに理解して、鉛のように心臓らへんに沈んでいたものが、スッと溶けてなくなる感覚を覚えた。シャネルスーツでもバッグでも香水でもスカーフでも帽子でもなくシャネルの言葉に救われた。11歳だった。

一晩もかからず読破したこの本は、その後何度も何度も読み返し、ボロボロになって、ホログラムのカバーは破けてしまったので捨てた。見た目はカバーもついていないただの古い文庫本かもしれないが、私にとっては今の自分を築いた土台とも言えるとても価値のある一冊だから、7時間の空の旅を共にしてシンガポールまでやってきた。ネイルポリッシュとアイシャドウはシャネルしか使わなかったり、疲れている日はシャネルのスカーフを巻いてオフィスに行くとなんだか背筋が伸びでやる気が出てきたり、個人的にシャネルへの思い入れが深い理由は、私がその生き方を敬愛するマドモワゼルココシャネルが小さな帽子屋から育てたブランドだからにすぎない。傲慢かもしれないが、私がシャネルを身につける時、私は彼女の言葉とスピリットを身につけていると勝手に自負している。

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