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「宗教の存在意義がわからない」

 まだ20代だったころ、何の弾みだったか思い出せないが、信者の誰かに誘われて、ある宗教の集会に顔を出したことがあった(今では、ほとんど思い出すこともないのだが・・・)。

 そこで、誰とどんな話をしたか、全く覚えていないが、最後に「来世も人に生まれるように、念仏を唱えましょう」という呼びかけに応えて、皆が目をつぶり手を合わせて念仏を唱え始めた。

 正直に言うと、僕はバカらしくて笑いたくなった。

 誘ってくれた人(誰だったか思い出せない)が、帰りの車の中で、ハンドルを繰りながら、僕に対して優越者であるかのごとく話しかける姿を見て、心は冷めきっていた。

 なんでそんなに何かに縋りつきたいのだ? ぬくぬくと羊水に浸かったような状態を望むのか?

 僕には、そんな願望はない。

 その後、時は流れ、両親を看取り、妹を病で失い、何人かの友の訃報を受け取った。現在、いくつかの病を抱えている僕も、あと数年で古希を迎える。そう遠くない未来のある日、あの世へ召されるだろう。

 何を恐れることがあろう? 100年前には、僕はこの世に存在しなかった。夜が来れば眠りに落ちるように、やがて自然に(あるいは不自然に唐突な事故で)僕の人生は終焉を迎えるだろう。

 そのことについて、特に何の不満もない。

 原罪? 存在そのものが罪? そこから救済される?

 僕にはよく解らない。

 ※単に個人的に理解できないという話であり、宗教の存在そのものを否定するつもりはありません。
 私自身に必要なくても、私以外の誰かにとっては必要なものなのだろうし、この世から宗教の存在そのものを消し去りたいと思っているわけでは、ありません。

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