日記ーー1月。弊TLとウェブニュースから。
1月11日
オーストラリアの大規模火災で「環境活動家が放火した」というデマが広まっているそうだ。そのデマを喜んで広めるのは環境活動家のことが嫌いなやつらだろうか。 昨年の9月頃から続いている火災、十億匹の動物が何らかの被害を受けているそうだ。
アメリカとイラクは手打ちになるようだ。
トランプは暗殺を「守るためだ」と言った。「守るため」すなわち「正義」だ。こうして大義名分は生まれ、行動に「正しき」理由が生まれる。「危機の排除のために先手を打つことは自らを守るためだ」という理屈さえ可能だ。だから私達は、たとえ「守るためだ」と言われてもそれを検証し批判しなければならない。当然のことだが、嘘は嘘なのだ。
東日本大震災で「野党自民党が民主党の復興政策にすべて反対した」という記事を見る。佐々木公哉のブログ。3年で85回も「審議拒否」、昨年の「国難解散」云々。
1月16日
阪神・淡路大震災から四半世紀が立つ。
25年前。地下鉄サリン事件があり、まだアンゴルモアの大王やらシャクティパットやら足裏診断なんて話題があったころだ。
1月18日
雪が降る。寒い。
1月19日
「豊かになることで失われた」ということに対して、では貧しくなったら取り戻せるのか、という話題を見る。
思うに、豊かさと精神性は反比例しているわけではない。相関性を見出すのはまちがいだ。
利益や発展を最優先した時に、相対的に優先順位が下がったり、利益や発展とぶつかりあったために排除された精神があった……というのは理解できる。その「優先順位」を維持したまま貧困になれば、「失われたもの」は取り戻せはしまい。こういったものは自動的なものではないと考える。
1月21日
特攻隊を美談として語り、「何かを守るための尊い自己犠牲」と取る話題を見る。個々別々にはそういう当事者もいただろう。が、現在の我々は、そういったものがロマンティシズムを利用していることを知っている。そして、特攻が愚策だということも知っている。「誰かのための自己犠牲」ほど感情をそそるものはなく、故に利用されやすい。
宍戸錠が亡くなる。
1月22日
だいあが黒くなるのを見る。良い。
テリー・ジョーンズが亡くなる。
1月24日
英国のEU離脱法が成立。2月1日からこの年いっぱいかけて離脱していくのだとか。
EUから抜ければ、英国は自国のことは自国のことで出来るようになるが、巨大な経済圏から抜けてしまい、安全保障もやり直さなければならないのだろうか。
今年いっぱいはこの話題だろうと思っていた。
映画館で映画を見るのは軽い運動と同じくらい健康増進効果があるなどという記事を見る。
「自分よりも詳しい人がいる前で感想を言うのは無知を披露することになる」という話題。僕は「自分より詳しい人がいるから自分は何も言ってはいけない」というのは場合によりむしろ不誠実かと思う。沈黙によって権威者や有識者に同化しよう、ないし、彼らのルールを基準として「間違わないでおきたい」という我が身の立ち位置を問題にしている態度である場合があるからだ。
1月25日
百年前新聞より。「横浜貿易新報」に、歌人・与謝野晶子(41)が『死の恐怖』と題する文を寄稿する。現在、世界で猛威をふるっている新型風邪「スペイン風邪」の流行について、東京・横浜だけでも毎日400人が病死していると記す。」とのこと。
「コロナウィルスに罹患してるのに旅行するな。と思ったでしょ」と言った類のツイートを見る。結論は「インフル罹患してて電車乗って通勤するのがどんだけ馬鹿げてるか。」その通り。
中国はコロナウィルスで大変らしい。中国人バッシングの一方でマスク売り場に「中国加油」と書いている薬局があるというツイートを見る。
バッシングの一つは「中国人が日本の医療保険を目当てに押し寄せてくる」というデマだ。
この話は1今大挙して来日するのはビザの関係で難しい 2滞在三ヶ月以上で国保が可能 3観光ビザでは旅行者が負担することになる という理由でデマだということだ。
相も変わらず「悪い外国人に食い物にされる」という類のデマだが、現今「正しさ」の感覚をもたらすものは「被害者であること」だ。だからこの手のデマは保守に好まれる。
ダイアモンド・オンラインで「なぜイマドキ新入社員は定時で帰るのか」などという馬鹿げた記事が話題に。会社組織と構成員は同化する必要はない。構成員は組織のために自己犠牲するべきではない。組織の運営や成長に自己実現を見るのはトップと既に同一化するマインドを持ってしまった人達だけで、それは「まじめさ」でもなければ「仕事のプライド」でもない。
1月26日
「コロナは中国の生物兵器だ」と言っている人がいる。というツイートを見る。左翼ものだそうだ。
百年前新聞によると折田彦市先生がスペイン風で亡くなった日なのだそうだ。
スペイン風は大戦中に世界中で流行ったが、この百年前のものは第二波か三波というところだろう。
1月27日
コービー・ブライアントがヘリの事故でなくなった。
ウェス・ウィルソンも亡くなったのだそうだ。
半可通が「無知な正義は悪」というのは馬鹿馬鹿しい。まるで自分がその範疇に入っていないかのように言うが、その言葉を突きつける態度はまさに正義感による憤りであり、それよりもマシな概念を知らないのは無知ゆえだろう。
1月28日
花見の件。「私は募っているという認識で、募集しているという認識ではなかった」というのは驚いた。進次郎のトートロジーと同じだか違うんだか。
gigazineで「睾丸を醤油につけるブーム」という記事のタイトルだけを見る。よいタイトル。
1月29日
首里城の火災後に初めて訪問したという人のツイートを見る。首里城が再建されたとき、世界はどうなっているのだろう? という事を言っている。
「言葉は生き物、変化する」などと言う。いや、言葉だけではない。私達も変化する。「沖縄」という言葉一つとっても、その言葉がどういった意味たちにたどり着くかは歴史と時代と個人による。純粋で本来的な「名詞」の存在などイデアのようなものだろう。
1月30日
「国立博物館が値上げ」という記事。
千円を高くはないと感じる一方、文化教育の敷居は下げ続けるべきだろうと感じる。
松川るい議員のツイート。『予算委では、新型コロナウィルスについて指定感染症の施行を早めるべきとの声が相次ぎ』というのはよいが『憲法に緊急事態条項があれば!一部野党も逃げずに憲法改正の議論をすべき。立民の同性婚提案にも憲法上の課題あり。憲法審査会にて様々各党の提案をぶつけ合えば良い。』というのはトンチンカン。まず憲法改正を前提として議論することになっている時点で「すべきでない」という批判者を無視している。同性婚提案に反対でないのなら、現今憲法下での最大限できることを承認すべき。「すべきでない」は逃げではない。なにより、その野党との改憲議論と「憲法に緊急事態条項があれば」はどうかかわるのか? 緊急事態条項と同性婚提案の憲法上の課題は、与野党にとって交換条件的なものであってはならない、少なくとも国民にとっては。強いて繰り返すが、国民にとっては、ある党の希望と別の党の希望を2つとも叶えるために交換条件として交渉することが良いわけではない。この国は「党主権」などというものではないだろう。
「国民の命と健康を人質にするつもりか」というツイートを見る。げに。
インファクトによる今週のネットデマ。
・「関空へ入国した武漢人観光客が病院から逃げた」
あいかわらずネトウヨや「はちま」や「刃」で広まった様子。孫向文という漫画家も広めているそうだ。府知事、厚労省はデマだと明言。
・「コロナウィルスの致死率は15%」
これは前述の孫向文という人が台湾メディア「自由時報」の翻訳を伝えたものだが、重症患者のうち何人が死亡するか、というのを間違って伝えている様子。つまり「感染者全体の致死率」ではない。
あと「国際信州大学」という謎の大学デマ。「練馬産業大学」のようなものか。
1月31日
ソシャゲの売上がすごい、という記事。FGOとモンストとパズドラと1900億円を稼いでいるそうだ。
映画秘宝終わる。休刊?
EU議会でオールド・ラング・サインを歌う様子。Brexitでイギリスがイギリス精神を発揮している。危機に生まれる自意識や連帯か。
百年前新聞。アメリカの平均寿命が1901年には約49歳だったが54歳になったのだそうだ。
松川議員のツイートに反発が少なからず。「国会の機能が失われてもいないのに」や「感染症対策は法律でできる」というもの。
継続する「外国人が国保を使える制度にしたのは民主党」というデマ。
バズフィードによると『日本で医療ツーリズムの強化が本格化したきっかけは、2010年6月の鳩山由紀夫政権が閣議決定した「新成長戦略」にあることには間違いはない。』のだそうだが『2011年1月に導入された「医療滞在ビザ」による治療は、国民健康保険制度の対象外で、全額自己負担
』だそうだ。
「民主党政権が国民健康保険の外国人加入要件を引き下げた」もデマ。中曽根政権下で国籍要件が廃止され麻生政権下で三ヶ月の滞在とされ、12年に施行されたものだそうだ。
また「留学ビザなどの悪用」というのもデマで『「身分や活動目的を偽って、あたかも在留資格のいずれかに該当するかのごとく偽装して不正に日本に在留し、国民健康保険に加入して高額な医療サービスを受け」たと言い切れる事例は「ほぼ確認されなかった」と発表している。』とのこと。
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