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ずる賢く在る ということ
「少しくらいズルしたっていいんだよ、ずる賢くいこう」
友人からの一言で、すごく救われた気がした。
赦された気がした。
機転がきいて、勉強が出来て、飄々と生きるかっこいい子にかけてもらった言葉。
ちょっと涙が出た。
誰しもひたむきに真面目に、コツコツと物事に向き合うことで報われると思っているところが無意識にあるのではないかと思う。
答えは ″NO″ で、必ずしも着実に歩んできたからと言って報われる訳ではない。
真っ直ぐに取り組み続けることは、忍耐そのもの。
苦労することの方が目に見えて多い気がする。
真面目ってなんだろう、ただそういう風に見えるだけだったり、相手の印象を勝手に決め付けていることなのではなかろうか。
わたしが真面目と称する人も見えないどこかで力を抜いているかもしれないし、もしくはゴールに辿り着くためにずっと、ただひたすら夢中で駆けているかもしれない。
真面目さや不真面目さといった、人を評価したり表したりする言葉たちは、他者の印象を「勝手に」膨らませているだけなのかもしれない。
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英国で学生をしていた頃、留年を許されていなかった為、渡英したからには後に引けなかった。
四六時中、寝る時以外は図書館に篭りっきりで、時々しか人と遊ぶこともあまりせず、いわゆるガリ勉だった。
勉強は頑張っていた方だと思うし、なんとか成績は悪くなく、寧ろよい生徒だった。
教授からは卒業式の日に、
「あなたは現地の子たちよりもよっぽど努力が出来るし、強くて真面目で賢くて、本当に誇りに思う」
と言われ、たくさん泣いた。
すごく嬉しかった。
元から英語が得意なわけではなく、進むべきドアの前に立った時、英語が更なる壁となり、立ち往生した。
そんな自分が許せなくて、克服するために選んだ道が環境を丸ごと変えてしまえ、という海外へ進学するというものだった。
だからこそ、卒業をなし得たことは、自分史上最高の出来事だったと思う。
今でもあの日のことを思うと込み上げるものがある。
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決めたことや目標があるのなら、それに向かって猪突猛進な猪年生まれだけれど、
時には不真面目でいたってよいのかもしれない、そう思ったエピソードについて綴りたい。
在学中、グループプレゼンテーションが課題に上がり、フランス人・中国人の子と組むことになった。
最初は真面目そうだし、よいグループと思っていたけれど、のちにその予想は崩れることになった。
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わたしは、レクチャーでも試験においても真っ直ぐに取り組んでいたと周りからも評価されていたのか、なぜかリーダー的な存在におかれることがしばしばあった。
今回、問題のグループプレゼンを行うにあたって、その真面目さが仇になるとは思ってもいなかった。
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「家の鍵をなくしてしまって、大谷さんが帰ってこないと家を出れないの。今日のミーティングには行けなさそう」
「やらなきゃいけないことがあるから今日のミーティング行けないや」
初めてのミーティングの日にチームメンバーそれぞれ送ってきたメッセージたち。
……あ、これダメだ、協調性がない。わたし、もしかしたら単位落とすかもしれない。
ゾッとした。
悩む前にまずはやれること…をと思い、自分が思うままにリサーチを進めた。
プレゼンに関しては、教授からお墨付きを貰っていたこともあったので、内容だけ、伝えたいことをまとめてしまえば大丈夫だと思った。
グループプレゼンの課題は、「新しい市場に真新しい製品を売り込むためには」というマーケティング関連のものであったため、1人でも資料探しやまとめ作業は出来たが、チームメンバーから合意が無いことにはさらに深くリサーチを掛けることは無駄になると思い、次のミーティングまで時間をおいた。
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2回目のミーティングには全員が出席したと思う。
ただ、やるべきことをわかっていなかったため、その内容のすり合わせに時間が割かれた。
肝心の売り込む市場や製品についての話には触れることもできなかった。
すり合わせをしたあと、2人には考えてきてほしいことを伝え、その日は解散した。
その後の悪夢である。
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他の課題とも並行して進めていたため、例の問題の課題だけに時間を割くことだけは許されない中、問題が起きた。
試験まで残り1週間と数日となった頃、2人の進捗を確認したところ、お願いしたことは全く着手していない状態だった。不安の波が押し寄せた。
リスク回避。
一番最初に頭に浮かんだ。
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お願いした上、了承したにも関わらず、やらない理由を聞いてもわたしにとっては言い訳にしか聞こえなかった。
この課題よりも優先するべきことがあるのだと勝手にがっかりした。且つ、相手にもペースがあると思った。
プレゼン発表日も近くなってこれはまずい、と思い、自分で出来るところまでやってしまえ、と考えた。
毎晩、夜中の3時までリサーチをし、PowerPointでスプレッドシートの作成、デザインから発表内容、伝えるべき内容まで全て網羅した。
チームメンバーにも内容を伝えたら、それでいこうと言われた。
はなからそれが狙いだったのかというくらいには。
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毎夜3時まで他の課題とも並行して課題をしていたため、体に不調が起きるようになった。
ましてや、英語がそんなに得意でもない人間が、ひとりで3人分の課題を片付けようとしたのだ。
メンタル的にも限界だった。
どうして人の分まで課題をやらないといけないのか。
周りの友達たちもグループ内で問題があったらしいが、わたしのグループほどでもなかったと言う。
何故わたしだけこんな状況なのか。
周りは、こんなに苦労していないはずだ。
人選の場面、あの時、不真面目そうな印象を醸し出していたならこうはならなかっただろうか。
「どうして」
そんな言葉がずっと頭の中をぐるぐる巡り、いつの間にか感情が無くなってしまい、口角を上げることができず、笑うこと、感情を出すことが出来なくなっていた。
日本にいる家族に相談したところ、かかりつけ医に相談してくれた。
自律神経失調症になっていたことが判明する。
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無事にプレゼンは、わたしが考えたもの全てを反映した上でなんとかパスすることができた。
評価も悪くないものだった。
チームメンバーには感謝された。
また少しして、成績不良で留年リーチになっていた子が最終学年に上がってきていたことを知った。
風の噂で、コネやお金を駆使して上がってきていた事を知った。
卒業時、授業への出席率が99.7%と開示を受けたわたしにとっては、意味がわからないものではあったが、なんとなくそういったこともあるのだと理解した。
同時に何かがぷつっと切れた音がした。
真面目すぎるのも心身の破滅に繋がってしまうということに気がついた。
この件について、アメリカに飛んだ友人にメールで相談していた。彼女は、冒頭で綴ったあの言葉を贈ってくれた。
「頑張りすぎるのもよくない、ちょっとくらいズルしたって人に迷惑かけなければバチは当たらないよ」
とも言っていた。
あれからずっと、わたしの中に残っている言葉。
あとは、
ちょっと力を抜いていたって、悪いことではないということ。
詰めが甘いと本末転倒だけれども。
あとがき
あの言葉を貰って以来、真面目に取り組むべきと考えた時以外は比較的不真面目に生活しています。
努力はしてみるけれど、無駄な力を入れずふわっとしているようなイメージ。
常に前を向いていたいけどよそ見はする、法に触れない程度に少しルールを破るなど、
もっぱら真面目と表現されるには少し違うかな、と言った感じには。
そのスタンスのおかげで、「へらへらしてるけどやるときはやるよね〜」と言われることが多くなりました。
真面目すぎても不真面目すぎても風評被害に遭うことがありがち。
真面目すぎると押しつけられるものやことが多い。
不真面目すぎると何も任せてもらえない、ネガティブな出来事の要因にされるかもしれない…
なら、どっちにも取れる側面を持っていたいなあ、と思う うさもて なのでした。
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