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約束
先輩担当の患者さんのリハビリに伺った。その方とは2回程共にリハビリをしたが、かなり久しぶりだったので相手は私のことは覚えていなかった。認知症の診断も出ていたし、それは当然のことだった。
挨拶がてら、病室から一緒に富士山を見た。彼女は、冬の富士山は綺麗ね、ここからは本当に良く見えるわね……と嬉しそうに景色を眺めていた。そしてそのキラキラとした目は、病院中庭の染井吉野へと向けられた。
「あれ、桜の木なんだって。春はきっと綺麗よ」
「そうなんですね。私、見たことなかったです。見てみたいな」
実際はそれが桜の木だということはよく知っていたが、言わなかった。すると彼女は、
「そうなの?じゃあ一緒に見ましょう。あなたみたいに、自然を綺麗と思える人は滅多にいないわ」
あなたと見られたら絶対に楽しいから。素敵な笑顔でそう言った。
私は、返事が出来なかった。だって、彼女は翌日に老健に退院で、しかもその事を伝えてはいけないのだ。先輩からそう指示を受けていた。
私は、無理に笑って、辛うじて「いいですね」とだけ返事をした。
時が経ち、桜の咲く季節になった。中庭の染井吉野は精一杯に開いている。皆口々に桜の話題に花を咲かせていた。
私は、以前の約束を未だに思い出す。彼女はきっと覚えていないであろう約束。私の心に楔となって突き刺さり、抜けることはない。
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