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臑擦リ

何時の間にか、雨が降り始めていた。
すっかり濡れそぼった肩に手をやる。辺りは宵に包まれていた。早く帰らねばと足を速める。

すり。

ふと、臑に何かが触れた。
足を止める。まるで犬か猫が足元を過ぎった様な感触。

ずり。

また触れた。先程よりも確かな感触があった。
――ぬめりがある。

足元に目をやるが、何もない。

べちゃり。

ずるり。

ずりずるりべちゃりどろぉりべちゃりどちゃりべちゃり。

何か・・は執拗に足元に纏わり、歩を進める事すら困難になる。
正一は危うく背筋を凍らせる所だったが、ふと政之の言葉が頭を過ぎった。

「伊奈山峠には『すねこすり』が出るんだ。俺も足元をうろつかれ困ったもんだったよ」

なるほど、と正一は合点がいった。これが噂のすねこすりか。もう一度足元に視線を落とすが、矢張り其処には何も居なかった。
すねこすりは犬や猫のような外見をしており、足元に纏わりつくだけで特に害の無い妖怪だと云う。今其の姿は見えないが、姿を想像すると笑みが――

べちゃ。

――いや。この感触、犬や猫ではない。

最初は此の雨で濡れているのだと思った。しかし、正一の臑に触れているのは明らかに動物の毛ではない。まるで、濡れた手で執拗に撫でられている・・・・・・・様な

ずちゅ。

感触が膝にまで登ってくる。
間違いない。これは、すねこすりではない。

正一は足払いをして走り出した。
感触は追っては来なかった。

其の儘、家まで走った。走って走って、家の明かりに安堵した。

足を見る。

夥しい程の血で染まっていた。
正一の臑から膝にかけ、染料を塗りたくった様な血液の跡があった。




暫く時が経った頃、伊奈山峠で強盗殺人があったとの噂を聞いた。
被害にあったのは町の妙齢の女性で、抵抗出来ぬ様両の手を無理に切り落とし、舌を抜かれていたという。余りにも残虐な事件であった。

正一は、すぐそれ・・に思い至った。
やはり、あの日正一の足元に縋りついていたのはすねこすりではなかったのだ。

「助けを求めていたのか。死して尚も」

それを、俺は捨て置き去ったのだ。

「すまなかった」

そうして、正一は合掌した。

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