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末期癌と診断されても自分で出来る治療のサポート①

今や2人に1人が癌と診断される時代。
先進国と呼ばれる国々は癌の罹患率は下がっていると言われるのに日本だけは増加の一途を辿っている。

もう、癌は珍しい病気じゃない。

そして、治らない病気でもない。


私が癌と言われたのは2022年の5月のことだった。
どうにも具合が良くなく、でも病院には行きたくなくてずっと様子を見ていたけれど、とうとうクリニックに行った。
私のような症状は珍しい事でもないし、異常無いことがほとんどですよ、でも心配だからスクリーニング検査だけは出しておきますね。
と言われる。何年も前にクリニックに行った時に言われたことと同じ。
次回予約は次の生理が来てからしてください。と、呑気なものだった。

だけど、私が電話をする前にクリニックから電話が来た。
もう少し早く予約してきてもらえますか?
・・・あーすごく嫌な予感・・・。

案の定、大学病院を紹介される。
仕方なく大学へ行く。サンプルを取って検査結果は3週間後だった。

さぁ、出来ることしなきゃ。と、まずはひまし油湿布のやり方を調べ、道具を買った。
それから、何とか段取りを付けて横浜の体験ハウスへ予約を入れた。
出かけるまでは、毎日患部へひまし油湿布をして、癌に対応するホメオパシーレメディを飲んだ。

まだ甘えたい歳の子どもを残し、1週間半の体験ハウスの滞在。訪れるのは5年ぶりだったと思う。

出発前は、顔色もなんだか土気色で腹痛もあるし、食欲も全く起きず、生命力がどんどんと奪われていくように感じていた。けっこうやばいかもしれない。と薄々感じていた。

体験ハウスでは、免疫と呼ぶ独自の波動測定がある。全身各臓器ごとに免疫数値を写真から出せる。
到着時の波動測定をする。
患部の数値は7。初期癌の数値だった。
あーやっぱりそうなんだ・・・。とちょっと落ち込んだ。

ただ、私は、体験ハウスで癌を克服した人々を何人も見ている。きっと大丈夫。とも思った。
2週間はいたかったけど、子どもが先に限界がきた。
1週間半で帰らなければならなくなった。
でも、1週間半の間に、食欲はメキメキと回復し、顔色も随分良くなったし、体調もかなり回復できた。ハウスにいる間は、薬がいらない程度の腹痛で済んでいた。
また来ます、と言って帰ったものの、行けたのは1年以上経ってから。

自宅に戻り、大学病院で結果を聞くと、子宮体癌ステージ1だった。免疫7の結果と同じだ。
転移はあるかどうかわからないと言われた。
田舎の大学病院では出来ることが限られる。
その後、祖父の伝手で順天堂でも検査を受けた。
流石に都会は諸々早い。リンパ節転移あり、だった。

結局、色々な可能性を考えると標準治療としては子宮も卵巣も全摘出です、とのことだった。
癌種が女性ホルモンに反応して増える種類だったから、仕方ないらしい。
この辺が西洋医学の融通の効かない部分だ。

そこからは、ひたすら手術の日が来るのを待つだけ。
ホメオパシーのレメディを飲み、ハーブのチンクチャーを飲み、ひまし油湿布をする。
松葉を齧り、ヨモギを煮出してお風呂に入れて入る。
生体活性化チップも買い、第1チャクラに付け自分のエネルギーを上げ、自宅の分電盤と水道に付け、電磁波対策をした。

だんだん痛みが出るようになってロキソニンも毎日いやいや飲んだ。お腹痛くなるからムコスタも処方された。痛みも日を追うごとに強くなっていく。

そうこうしている間にようやく入院の日が来た。入院なぞ大人になってからしたことがないから、入院の勝手が分からず、コロナ禍ということもあり、無駄に早い入院で暇だった。
特に医師が説明に来ることもない。看護師さんが色々とサポートをしてくれるくらいだった。ものすごく不安になるシステムだな、と思った。
入院中の他の患者さんとおしゃべりをして楽しく過ごして手術の日を迎えた。

5時間くらいと言われていて、だいたい予定通りの時間でオペは終わった。輸血をされていた。
お腹を開けてみたらまぁびっくり。

初期の子宮体癌と言われていたのに、結構進行していてステージ4Bです。と。一番最後のステージ。

つまり・・・末期癌でした。

あぁなんてこと!!とは思ったけれど、死ぬ気は全くしなかった。
さんざん家族に心配をかけてしまい、本当に申し訳なかった。

手術で終わりとはならず、転移があるので抗がん剤も6回はしないといけないと思います。
もしかしたら、それ以上しないといけないかもしれません。と言われ絶望的な気持ちに。

手術は仕方ないとなんとか受け入れたけれど、抗がん剤はそれ以上に恐怖だった。
抗がん剤は、発癌剤でもあるからだ。
何とかしなければ・・・と思った。

実は、私は2回手術をする羽目になった。
1回目の術後に帰るのが早すぎて感染症になり、もう一度お腹を開けなければならなくなったのだ。
2回目は先生達も慎重すぎるほど慎重でなかなか退院できなかった。かなり辛かった・・・。
それでも、入院中はたくさんの他の患者さんと仲良くなったので、手術のこと、入院のコツ、抗がん剤治療のことなど、たくさんの情報収集が出来たという意味では役に立った。
看護師さんや看護補助の方とも仲良くなって色々話を聞けた。

看護師さんは本当に文句なしにすごいと思う。
医師は・・・チームで患者さんを担当しているので、当たりハズレがある。若手の先生だと危うい。中堅でもやる気ない人だと大外れ。さすがにチームリーダーの先生は安心感ありますけどね。
でも、先生とも仲良くなって余裕がある時は世間話もして楽しく過ごしてました。
あぁ色んな世界があるんだなぁと色々と考えさせられた。

そうそう、手術の時も、色々とやってました。
術前から、回復をサポートするためのホメオパシーレメディ、麻酔解毒のレメディ、傷の回復をするレメディ、それから傷にはムカデの油を塗ったし、カプセルにつめて飲んでもいた。

肺癌末期の大叔母さんが、ムカデ油で元気にピンピンしていたので、いいだろうと祖父母が飲むように言ってくれたのだった。

それから、大昔に、癌と診断されたことを周りに言うと色々勧められて、ご祈祷まで勧める人がいるんだと、どこかで読んだのだけれど、私もご祈祷しました。
それも、変わった友人が祈祷力日本一だよ、と勧めてくれた密教のご祈祷をしてもらいました。
嘘みたいだけど、本当に効果あります。ご祈祷してもらったらすっごく楽になったのよね。
教えてもらえてありがたかった。
氏神さんでも術前のご祈祷はしましたが・・・正直、効果の出方がまるで違いました。
密教のご祈祷は、5年すぎるまではお願いしておこうと思っていて、今も願ほどきはしていません。

つづく・・・・

*このエピソードで私がやった治療のサポート*
実際に取り組んで良くなる実感があったものです。個人の体験に基づくものです。自己責任でお願いします。
①ひまし油湿布 エドガーケイシー療法といえば知らない人はいない、ひまし油湿布。
強力な免疫力向上作用があり、私は本当にたすけられた。どんな病気や症状があっても、健康な方の健康維持のためにもお勧めしたい手当法です。
書籍があり、自分で学べます。
エドガーケイシー療法の全て2が癌の特集です。
ひまし油は、エドガーケイシー療法の全て1に詳しく載っています。


②ホメオパシー
ドイツのハーネマンという医師が開発した代替療法。同種療法とも呼ばれるこの治療法は、日本でマイナーだけれど、イギリス王室が標準治療として利用していたり、インドでは3大治療の一つとなっていたり、効果が認められている治療法。日本では、ホメオパスという治療家に相談をしてレメディを選んでもらう。もちろん、自己学習での利用も可能。基礎的な部分は自分で学べます。

③体験ハウス・生体活性化チップ
横浜はセンター北にある不思議なお家。強力な遠赤外線を発生する仕組みの家で、滞在しているだけで身体中の細胞が本来の力を取り戻し、みるみる元気になっていく。
生体活性化チップは、体験ハウスの社長さんが開発した商品で、体を元気にしてくれる発明品。あやしさ満点(笑)、夫はいまだに信じていない。商品が人を選ぶという類のもの。私は大好き。

④ムカデの油
田舎では割とよくある民間療法。ムカデをとっ捕まえて、植物油に生きたままどぼん。毒が傷にテキメンに良い。

⑤松葉、よもぎ湯
松葉は仙人の食べ物。諸々よい効果がある。よもぎは浄血・造血作用があり、婦人科系の不調にはとてもよいと言われている。どちらも私は実家の庭から入手。普通に売ってて買えます。

⑥密教の祈祷
これは不特定多数の方には教えられませんが、良いお坊さんを見つけると叶います。効果すごいです。

※ここに書いたことは個人の実体験に基づくもので、万人に同様の事が起こるわけではありません。取り組むのは自由ですが、自己責任で試してください。

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