見出し画像

可愛い女という化け物

去年の冬、好きな男とセックスをした。

男とは友達としての付き合いが長く、それまでも何度も二人きりで遊んだり、お酒を飲んだりしていた。
私たちはそれぞれの歴代の恋人たちよりも、お互いのことをよく知っていたと思う。恋人として関係を維持しなければいけないという遠慮がなく、お互いのことを打ち明けあっていたから。

だけど、私たちはセックスをした。
男にとって私は恋愛対象ではなかったと思うし、私が男のことを好きであることも明かしていなかった。
お酒に酔っていた、外が寒かった、何となく離れ難かった、多分そんなような理由で男は私と寝た。
私は私で、好きな男とセックスできるなんてラッキーだな、くらいの気持ちで寝た。
世の中に吐いて捨てるほどよくある話だ。

「男として責任を取らなきゃかな…」次の日、男と話していたらこんなことを言ってきた。
私はこの一言に滅茶苦茶に傷付き、腹が立った。

好きな男に、私と男女としての関係を進めていくことに前向きではないことを、改めて言葉にされてしまったから。
私は男が優しくて、根が真面目なことをよく知っていた。
勢いで関係を持ってしまった私に対しても、誠実であらねばならないという優しさ、そうありたいという自負から出た、ギリギリの言葉。
あるいは、私のことを拒絶することが単純に面倒だったのかもしれない。
「好きでもなんでもないけどヤリたくてヤった、ごめん」って言われる私への対処、これからの付き合い方の見直しという、カロリーの大きい仕事を避けたかったから。
素直に男のことが好きだった私は、やっぱり傷付いた。

でも、そんなことより何より、私の心に引っかかったのは、「責任」という言葉だ。

セックスした責任ってなんだろう。
もしそんなものが生じるなら、それは二人に生じるものじゃないのだろうか。
何も明確にしないまま目の前の誘惑に屈したのはお互い様のはずなのに、強姦されたわけでもないのに、何で私が被害者みたいに扱われるのか。

私が女だから?
私は男を好きだけど、男は私のことを好きじゃないのにセックスをしたから?

男が私の好意を搾取したのだとするなら、私も男の優しさや怠惰を搾取して甘い汁を啜ったのだ。
私が男を好きだからって、男が私を好きにならなきゃいけない責任なんてないのに。
こんなことはどんな人間関係においても言える自明の理であるはずなのに、なんでセックスをしてしまった途端におかしな歪みができてしまうのか。

私が一方的に搾取された被害者、男にそんな風に見下されていると思うと、腹が立って仕方がなかった。
私は自分の意志で、対等な立場で、好きな男とセックスしただけなのに。

そんなことをものの数秒で考えてしまった私は、「そういう考え方は好きじゃない。やめて。」とだけ伝えた。

この出来事をある友人に話した時、「可愛くない女だね。責任とってよって言っちゃえばよかったのに。」「バカなフリして告白しちゃえばよかったのに。」と言われた。
確かに、責任を取ってもらう(恋人にしてしまう)ことで、既成事実さえ作ってしまえば、事態はシンプルになったのかもしれない。

でも、私にはできない。責任という言葉に壁を感じ、見下されたと感じた自分に嘘はつけない。
そして、好きな男に恋をしてしまった私は、簡単に「可愛い女」にはなれないし、男にそれを見せるわけにはいかない。

私が男を好きになった理由やきっかけは分からない。最初に「好きだ」と思った時の感情は、友達の延長で、何も無く時間が経ったらなかったことにできたかもしれない。
でも私は、男に恋をした瞬間を明確に覚えてしまっている。

セックスの後に、疲れきって動かない私の手を男が握ってくれた時、初めての感覚があった。
その男に守られているような、愛されていると感じるような、今まで他の男にそうされた時に感じたものとは全然違った。

私はその時、男と二人でいることが心強く思えた。

何の違和感もなく私の右手に馴染んだ男の左手の体温が、他人のもののように思えなくて、ずっと変わらずにあるもののように感じて、ひどく私を安心させた。
一人でいても、二人でいても、きっと誰と居ても人は孤独なはずなのに、男と手を繋いだその一瞬、私は孤独を忘れてしまった。
一人じゃなくて、二人でいる。それまでだって友達としてそうやってきたはずなのに、そのことに特別な意味を持たせてしまった。

だから、眠りに落ちるほんの一瞬前に、離れていった男の手を恋しく思ってしまった。寂しいと感じてしまった。
あと少し、もう少しだけと思ってしまった時、私は男に恋をした。

その次からだ。男と会う予定ができると、私はそわそわと落ち着かなくなった。

前の晩には半身浴でできるだけ汗をかいて、高いトリートメントをして、ボディスクラブで全身を磨く。仕事終わりに閉店間際のデパートに駆け込んで、わざわざ服や下着、リップを新調してみたりもする。

世の中の女たちもみんなそうしているのかもしれないけど、私はこの仰々しい儀式を行っている自分に落ち込む。
「可愛い女」になってしまっているな、と。

「可愛い女」になることは、単純に身綺麗にすることを意識するようになることじゃない。それ以上に、私という人間の内面を容赦なく変化させてしまう。
何人かで集まる飲み会への誘いがくるのが他の人より遅かったことに落ち込んだり、いつもよりLINEの間隔が空くことが不安になったり、次の約束が無い日々を暮らすことが苦しいと感じたり。
会いたいと伝えた時に、会いたいと思っているのは自分だけかもしれない事実を受け止めるのに涙が止まらなくなってしまったり。
それまで気に留めていなかったものに雁字搦めになって、一人では立っていられない不安定さに耐えられない気持ちになる。
自分の中にある面倒で、弱虫で、欲深い存在を、私は持て余してしまう。

そのことと上手に付き合っていける女、相手を追い詰めずに伝えられる(あるいは追い詰めても逃がさない強さのある)女にとって、「可愛い女」は武器になる。取り分け若いうちはこれに勝るものはないほど強力な武器に。
だけど、それができない私にとって「可愛い女」は、自分を殴りつけてくる暴力的な化け物でしかない。

「可愛い女」になることが、私は怖い。
恋をしていることを認め、それに付き纏う「終わり」を受容しつつ、努力し続ける覚悟を決めなければいけない。
「可愛い女」になっていることを相手に知られることは、もっと怖い。
私がこれだけ切実になっていることを打ち明けることになる。
そんなの、取り返しがつかないじゃないか。

男が今どうしているのか、私は知らない。前のように頻繁に連絡を取ってはいないし、もう三ヶ月以上会っていない。

私は私の化け物が男の目に触れないように必死に取り繕うことに疲れてしまった、そして、男はそのことに気付いてしまったのかもしれない。下手に付き合いが長いことも困りものだ。

私たちは疎遠になってしまった。
よく聞く男女の色恋沙汰のように、付き合う付き合わないでもめたわけではなく(最後に会った夜も、私たちは仲良く話して、ご飯を食べて、お酒を飲んで、セックスをしたのだから)、何のきっかけもなく、ふわっと疎遠に。

もめてすっきりした方が良かったかもしれない、私は好きな男だけでなく、大切な男友達すら、(表面的には)明確な理由もなく失ったのだから。

自分の中の「可愛い女」を飼い慣らすことができるようにならないと、私はもう男と向き合うことはできないだろう。
そして私はそれがいつになるのか見当もつかない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?