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祈りを形にした日

9月のある休日、指環を買った。
金色の真鍮の指環。自分の指にはめるための、私のための指環を買った。

きっかけは友人の「お守り用のリングを買った」というツイートだった。
それぞれの指には風水的なパワーがあり、つける指によって指環はお守りになるということだった。

私は信心深いタイプの人間ではないけれど、この行為にとても興味をそそられた。
それはちょうど自分への投資というものを考えていた時期だったからかもしれないし、季節の変わり目でお決まりのように心が弱っていたせいかもしれない。
一週間後、その友人に付き添われて吉祥寺にあるアクセサリーショップに私は居た。

友人の説明を受けながら素材やデザインを見て、いくつかの指環を手に取ってはめてみたりした。
ぴかぴかに磨き上げられたものや、細く波打つ形のもの、色々な指環を見ているのはとても楽しかった。だけど、私はどの指環も選ぶこともできなかった。

私はどの指に指環をはめるのか決めていなかったから。
今なにがほしいのか、どんな自分になりたいのか分からなかったから。

結局私たちは一度お店を離れて、珈琲を飲むことにした。落ち着いた場所で指環をはめる指を見定めようと考えたのだ。
だけど、指ごとの意味をまとめたネットの記事を開きながら、私たちはほとんど指環とは関係のない話をした。
久しぶりに運動したら気持ちがよかったことや、勧められたアニメを見始めたこと、好きな男に腹を立てたこと。

友人との会話の中で、私は今「人生に積極的になりたい」と思った。

次にアクセサリーショップに入った時、私は左手の人さし指にはめるための指環を選んだ。
少し太めの、真ん中にお砂糖のようなきらきらしたラインをあしらったデザイン。指のサイズを測り、ハンマーで叩いてぴたっりの大きさに整えてもらう。
二度目の来店から私が私のために選んだ指環が完成するまで、30分もかからなかったと思う。

指環がはまった自分の左手を見た時、私はお守りとは違う何かを感じた。
この指環が導いてくれるといったようなことを、私はきっと信じていない。

私は、自分がどう在りたいと祈ったのかを形にしたかったのだと思う。

なぜ私が「積極性」を必要としたかは置いておくとして、それに気が付くことができたのは友人との会話があったからだ。
友人との会話がなければわざわざ振り返らないような生活の断片、目の前を通り過ぎたもの、その時感じたこと。
それを言葉にすることで、自分の意識の回っていなかったところや目を背けていたものと対面することができた。

一人では辿り着けなかった今の自分からもう逃げないように、在りたい自分への祈りを忘れないように、
私は自分のための指環を買ったのだと思う。

指環は、簡単に抜けないように、少し指に食い込むサイズになっている。
その締め付けを感じるたびに、私はあの時の祈りを確固たる決意にするんだと自分を奮い立たせている。

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