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No.62 昨夜の配信にリスナーはびっくり!

1.12月16日の配信内容:日本の戦後初期の音楽

昨夜は今年最後のクラブハウス配信の日。
戦後直後の日本のジャズシンガー達を取り上げそれぞれ意味ある曲をお届けしました。
【ジャズって何?】から始まり当時の録音の様子などを語りました。
もちろん私は戦後3年経ってから生まれたのでその当時の様子は師匠や先輩音楽家からの聞き伝えです。その他、ネットや新しく購入した書籍で調べて集めた情報です。
シンガー以外にもバンドプレーヤーの水面下の語り草となった逸話も記憶にあったので少しお話しました。
中でも「拾い」についてお話したのは初めてです。
これはいずれシナリオを書くディテールのひとつなのであまり言いたくなかったのですが。。。リスナーさんたちが返す言葉もなかったようです。

私の大好きなそして尊敬する雪村いづみさんから受けたアドバイスなども少しお話しました。
最後に生歌でクリスマスソングを2曲続けて歌いましたが歌うと自分自身がまず元気になるので歌のチカラは大きいですね。


配信で生でしっかり歌ったのははじめてだったのでいい感じに聞こえたかなと心配でしたが皆様の反応がよく 安心しました。
♪<SET LIST>♣♪
1) My Foolish Heart / ナンシー梅木(ミヨシ・梅木)
2) My Baby's Coming Home/ フランク永井
3)Lover Come Back to Me / フランク永井
4) Changing Partners/柳沢慎一
5) Till I Waltz Again With You/雪村いづみ
6) Swanee/雪村いづみ
クリスマスプレゼント 生歌 八月真澄
7)<青と白のクリスマスキャロル>★Blue Cristmas → ★White Christmas

リスナーは多くはなかったけれどこうして・・・まあまあの反応でした。
そして翌日の今日、いろいろ思うことがありました。

2.初期のジャズシンガーたち

敗戦国の日本が立ち上がるのを応援したのが進駐軍がしかけた音楽。
それが戦後の日本の「ジャズ」かもしれない。
それはアメリカ音楽に追いつこうとがんばった日本の音楽の黎明期。 
英語発音も素晴らしい歌手たちの歌手を心ざす動機となったのは
ナンシー梅木の場合は家庭環境にある。幼い頃、兄が進駐軍の通訳をしていてアメリカ兵が家に出入りしていた・・・彼らは祖国の歌を口ずさむ。
それを聞いて育ったナンシー(ミヨシ)は自然、英語も得意であり歌の世界へと進む。大人になった彼女は国内でも名ジャズバンドの専属歌手としてデビューしその名を馳せる。
そして欲が出た彼女はアメリカへ歌の修行へ旅立つ。数年のうちに
大スターへの王道を歩んでしまう。

雪村いづみさんは経済苦で歌のアルバイトをしたのがスタートとなる。
とにかく英語が素晴らしい。<日本の近代のジャズシンガー達、いまだにパングリッシュ的発音で歌っているのはもう呆れてしまう>
ジャズにしろスタンダードアメリカンポップスにしろ 歌うなら「はじめに英語発音ありき」と思うが。
私は言語学者にまで付きしまいには四谷の日米会話学院という専門学校にまで通ったものである。
いづみさんは
アメリカでも遊びじゃなく仕事で何度も行き
アメリカ全土に渡るツアーもする。
その美貌も加わり、数回の結婚と離婚を繰り返す。
国からの賞もいくつか受賞されている。

そして男性で驚いたのはムード歌謡のスターだとばかり思っていたフランク永井。彼の低音の魅力と優しくも太い声で「恋人よ我に帰れ」というジャズナンバーでデビューする。彼の仕事は元々 進駐軍のトラックの運転手。英語も素晴らしい完璧な発音!
やはり初期の日本のジャズシンガーと言われる大先輩達はそれなりに先見の明たる土台があったのである。

3.バンドマン達

一方で楽団つまりバンドマンの活躍があってこそシンガーも生きる。
バンドマン達は、彼らは彼らでやっぱりレコードが擦り切れるくらい聞いて、マイルスデイビスや、コルトレーンに学んだことと思う。
戦地で起床ラッパしか吹いたことがないという男性もなんとか仕事にありついたという話しも聞いたことがある。
そんな話しをたっぷりしてくれた私の音楽の師匠 重松岩男先生はもう亡くなられたけど彼は大柄のハワイの男性のような人。
その大きな手でアップライトピアノを弾くとオーケストレーションの音を出せたのである。こんなピアニストは不世出。
彼は都内のオフィサーズクラブで第一ピアノを受け持っていた。
第2ピアノは?これはやはりシナリオの中で明らかにする予定。

ここで言えるのは日本でいう「ジャズ」とは
ダンスのジャズスタイル
シンガーのジャズスタイル
バンドマンのジャズスタイル
というふうに分けられる気がする。

ジャズシンガーというのは思うに スキャットで楽器との会話が出来る技術を持っている人のことを言うのではないか?
楽器の一部になりきることも出来る・・・それがジャズシンガーだと思う。

私はいわゆるポピュラーシンガーである。
歌手への道のスタートはアメリカンポップスだった。そのまえはアメリカンフォーク・ソング。
それから声楽的技術や英語、スペイン語などを歌のために学び、ロック系とスタンダードナンバーそしてラテン(やシャンソンも少し)と幅広いジャンルを歌ってきた。
トム・ジョーンズの歌いかたをブレスポイントまでコピーしていたこともある。
ベルティングボイスを活かし、ダイナミックな歌い方が私のスタイル。

先日、youtubeではポップスシンガーとジャズシンガーとの違いなどを述べている若手ジャズシンガーの動画を見たが、間違いではないがまだまだ経験不足。そしてさらに正しくは 歌のジャンルはそんなふうに分けられるものではない。
その若手の動画にはあえてコメントしなかった。
私の年齢もあるけど ここまで積み上げてきたキャリアの私が言って、どうにもなることではないだろう。
むしろ そういう見解で考える人はもうどうでもいいのである。
話しても意味ない。
歌で大事なことは昨夜も配信で言ったけれど「観客が喜んでくれる歌を唄えばいい」ただそれだけ。
どこまでも自分が謙虚に輝くことが大事なのである。

またバンドマンが彼ら独自で演奏するときと 歌のバックバンドをやるときとでは音量を違えなくてはいけない。
歌手が輝く演奏ができるのが上手いバンドであると言える。
若い頃はビッグバンドでよく歌ったが彼らは有名でなくとも、みんな上手かった。
今は失礼だが、ビッグバンドを指揮するバンマスが無知なのか?
キレる頭のバンマスがいない。
すべてフォルテで出しまくり、ただただウルサイだけである。
東京を意識しすぎのビッグバンドA。
関西でイヤというほどそれを思った。
そんなバンドはもういい。
バンドとやるよりも 私は費用をかけてクオリティの高いカラオケを
制作したので今後 そのカラオケで歌っていくことにする。
そしてときにはピアノ1本で十分。弾き語りでもヨシ。という考えにおちついた。(2850)


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