見出し画像

ドストエフスキーと医学(1)

地域医療ジャーナル 2022年1月号 vol.8(1)
記者:shimohara-yasuko
元医学図書館司書

 

ドストエフスキーのハマり方

 

昨年2021年はドストエフスキー生誕200周年でした。同じ年に、連綿と引き継がれてきたわたしたちの「ドストエーフスキイ全作品を読む会」は50周年を迎えました。永続している理由は単純です。いつの時代でも、年齢、職業、身分、性別などを超えて、「すごい!おもしろい!」とハマる人々が後を絶たないからです。

長く読みつづけてきたことに免じて言わせていただければ、ドストエフスキーは、難解かつ深刻に紹介されすぎているきらいがあるようです。「暗い、重い、むずかしい」という先入観に影響されて敬遠したり、観念的・抽象的なイメージにひきずられて紋切型の堅苦しい読み方になってしまうのはとても残念です。まずは、ミステリー、サスペンス、推理、恋愛などがぎっしりつまった、ハラハラドキドキの濃厚なドラマとして楽しむのが一番です。

19世紀当時のヨーロッパ、ロシアの著作の多くは雑誌への連載を経てから後に本として出版されていました。『カラマーゾフの兄弟』も同様でした。連載続行のためには常に読者の関心を惹きつけておかなければなりません。そのためのドストエフスキーならではの創作方法はさておき、当時のロシアの読者たちは(わたし自身がそうであったように)「真犯人はいったいだれ?」「アリョーシャはなぜ事件を止められなかったの?」「カテリーナが愛しているのはミーチャかイワンのどっち?」「この先どうなるの?」などとワクワクしながら読んだことでしょう。

「登場人物が多いし、横道が長すぎる」という理由から挫折する人もいるようです。なるほど、ドストエフスキーは小人物まで一人ひとり名前をつけて、本筋には関係のないエピソードをながながと語ったりします。しかし、読み返すたびに強く納得するのですが、ドストエフスキーにとっては「その他大勢」という「人間の捉え方」はありえないのです。

「登場人物が変人ばかり」といって敬遠する人もあるようです。しかし、ドストエフスキーにおいては「変人」こそが人間の基本型なのです。『カラマーゾフの兄弟』の冒頭に「作者より」という奇妙な短い一文があります。そのなかに、主人公アリョーシャ(彼は変人です)の意義に関連して次のように書かれています。

変人はかならずしも個別にして特殊な存在ではなく、むしろ逆に、変人こそがひょっとすると全体の核心の担い手であって、同時代の他の人々は、例外なく、何かの気まぐれな風の吹きまわしで、一時その変人からはぐれてしまったのだ、ということもありえないではないからである・・・

(江川卓訳)

「変人」は「病人」に置き換えることもできる、わたしはそう考えています。

学者や研究者たちが百花繚乱、千差万別の見解を発表する一方で、市井の愛読者の多くがハマるのは小人物も含めた登場人物たちです。彼らのなかに自分自身を発見するのです。

 



ここから先は

1,237字

¥ 100

いただいたサポートは記事充実のために活用させていただきます。