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安楽死と家族 1

地域医療ジャーナル 2022年4月号 vol.8(4)
記者:spitzibara
医療にウルサイ「重い障害のある子どもを持つ母親」


 昨年、生命倫理学や哲学領域の学者からお声掛けをいただき、2冊の共著企画に参加させていただきました。

 小松美彦先生ほかの編集で11人の著者による『〈反延命〉主義の時代―安楽死・延命中止・トリアージ』(現代書館)と、安藤泰至先生と島薗進先生を中心に昨年12月にウェブ上で行われた3回のセミナーの内容を書籍化した『見捨てられる〈いのち〉を考えるーALS京都嘱託殺人事件と人工呼吸器トリアージから』(晶文社)です。 どちらの書籍でも、欧米の積極的安楽死や医師幇助自殺の合法化の周辺事情を概説した後で、私は日本で合法化するのはより危険なのではないか、と問題提起しています。

 その理由として挙げたのは、まず医療の文化の問題として、①日本では医師と患者(家族を含む)の力関係が圧倒的に不均衡であること、②日本では医療サイドにも患者サイドにも「患者主体」が根付いておらず、「患者の権利」意識が十分に成熟していないこと。家族の問題として、①家族関係が密であり、家族規範が強く、個人としての生き方を貫きにくい文化があること、②医療と福祉のありようが日本では家族依存となっており、家族・介護・ジェンダーの問題を抜きに「死ぬ・死なせる」を論じるべきではないと思うこと。以上の4点です。

 また、これらの問題を背負っているからこそ、家族自身にとっての割り切れなさ、頭では本人の意思決定を尊重したいと考えつつ、それだけではどうしても納得できない気持ちが残る気持ち、家族ならではの苦悩についても、重い障害のある子をもつ親の立場から多少のことを書きました。

 安楽死や医師幇助自殺(MAID)は、個人による「死の自己決定権」の行使と理解され、家族の問題は、これまであまり大きく取り上げられてきていません。が、私としては、誰かが「死の自己決定権」を行使するプロセスにおいて、その決定に家族はどのように影響しているのか、また家族はそこでどのような体験をし、そこからどのような影響を受けているのか、という問題がとても気になっています。

 今回、ブックマークした記事の中に、家族に関係する興味深い報道が2本あったのを機に、「安楽死と家族」というタイトルを立てて書いてみることにしました。これからも考え続けていきたい問題なので、不定期にはなりますが、できれば「世界の安楽死と医師幇助自殺の潮流」のサブ・シリーズにしたいと思い、とりあえず1としてみます。



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