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【ワタシの恩師】

口語体でしか
文章が綴れないわたし。

まぁ…
どうしても
文語体で書けと言われたら
書けないことも
ないことはない。くはない(笑)

だけど。

苦手なのよね。
文語体。

文語体で綴ると
書きたいことの
半分も表現できなくなっちゃうんだ。
それはそれで
如何なものか?💧と
自分でも思うのだけれど(笑)

学生時代から
そうだった私。

作文を書くとよく
国語の先生に叱られていたんだよね。

「ふざけて書いているのか?」って。

まぁ考えてみればだ。
作文を口語体で書くって
なんじゃそりゃ?だと
さすがに今は思うけど。

当時の私はそうは思えなかった訳よ。

よく言えば
まっすぐで
悪く言えば
アホよね(笑)

ただアホはアホなりに
書きたいことを
精一杯詰め込んで書いていたのよ。

断じてふざけてはいない。


ふざけているどころか
何よりも書くことが好きで
真剣だったりするものだから
否定されるたびに凹む訳さ。

そして
いちいち凹むことにも疲れた私は
「書きたいことを書く」
ということ自体を
止めようとしたんだよね。

ただただ
無難な作文書いて
テキトーに出しておこうか?と
投げやりになった時期もあったのだけれど。

私は出逢えたんだ。
認めてくれる先生に。

中2の時。
国語を指導してくれたこの先生。
めちゃくちゃ怖くて厳しくて
でも。
国語は面白いんだ‼️って
日本語は素晴らしい言語なんだって
全力で教えてくれた先生だったの。

その先生にある日
呼び出されたのよ。私。
「出してもらった作文のことで
 話があるから職員室に来い」って💧

うわー😭
また叱られる。。。

そう覚悟して
職員室へ行くと
その先生はにっこにこで
わたしを出迎え
こう言ったの。

「おまえの書く作文は面白いな」

って。

へ?
怒ってないの?

そう私が尋ねると

「なんで怒るんだ?」と言い
明らかに不思議だという
表情を浮かべた先生。

私が小学生の頃から
作文を出すたびに
「ふざけているのか?」と
叱られまくってきたことを伝えると

その先生は
私にこう言ってくれたんだよね。

「そうか。
 まぁ、おまえの書くものは
 決して上手くはない。
 上手くはないが面白い。

 人の気持ちを掴む文が書けるんだと
 俺は思ってる。

 それはおまえの特技だ。

 変えなくていい。」

泣いたよ。
14歳の私。
もう号泣よ。嬉しくて。嬉しくて。

そして。
何十年経っても忘れないの。
あの時のシーンが丸ごと
脳裏に
心に
焼き付いているんだ。

認めてもらえるって
こんなに嬉しいんだって
自信になるんだって
そう教えてくれた先生。

明らかにセオリーからは外れている
私の作文を
コンクールに出してくれたりもしたんだ。

佳作にすら
引っかからないことの方が
多かったのだけれど💧

それでも
わたしを信じてくれた先生。

たくさんの人には
届かないかもしれないけれど。
おまえの書くものはいつか必ず
誰かの心を掴む。って。

あれから35年。

私はしゃべることと
【書くこと】を生業にする
お見送り司会者になった。

先生の言葉通り
一度にたくさんの人の心を掴むような
才覚はなかったけれど。

大切な人を亡くし
心に傷を負ってしまった方に
ホンの少し
手当てのキッカケを作るくらいの
お手伝いは出来ている。

そして。
好きなことを
何より好きなことを
仕事に出来る
幸せな人生を歩けている。

人の人生は
「どんな出逢いをしたか?」で
決まっていくんだろうな。

後進の芽を摘んでしまったりしないように。
願わくは
その芽を伸ばしてあげられるように。

しっかりと
「人」と向き合い
その人の中に見つけた光を
認めて歩いていこう。

「褒めてのばす」は
「信じてのばす」ことだから。

ね?先生。

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