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【隊長の味噌汁】

今回。わたしが
お見送りの司会を務めさせてもらったのは
93歳のじいちゃん。
このじいちゃんは…
【特攻隊】の生き残りだったんだ。


終戦間際
特攻隊へと送り込まれた
飛行機乗りだったじいちゃん。

当時じいちゃんは17歳。
隊員たちのほとんどが
二十歳前後の若者だったそう。

自身に出撃命令が出る日を待ちながら
何人も何人も散るためだけに
飛び立っていく仲間たちを
見送る日々を送っていたある日。

兄のように慕っていた
じいちゃんの隊の隊長にも
出撃命令が出たんだって。

じいちゃんは
せめて何かこの隊長にしてあげたくて
こう申し出たの。

「なにか最期に
 食べたいものはありませんか?」

すると隊長は
穏やかにこう答えられた。

「母の作った味噌汁が飲みたい」

無理なことは
隊長だって百も承知していたはずだ。

気を遣わせないように
あえてそう答えたのかもしれない。

でもじいちゃんは
「そうですか」では
終わらせられなくて。

せめてもの思いで
慣れない包丁を持ち
隊長の出撃前夜
丁寧に丁寧に
一杯の味噌汁を作り差し出したんだそう。

すると驚きながらも
その味噌汁を本当に美味しそうに
飲んでくれた隊長。

そしてじいちゃんに
「おかわりはあるか?」と
聞いたんだって。

でも。
じいちゃんが作ったのは
たった一杯の味噌汁。

もう差し出してあげることは出来ない。

すみません。と
じいちゃんは頭を下げた。

すると
隊長さんはニッコリと微笑み
こう言ったんだって。

「ならば。
 次の一杯は来世での楽しみとしよう。
 先に行って待っている。」と。

翌朝。
お国の為に散っていった隊長。
享年二十歳。

それからしばらくして
じいちゃんにも出撃命令が出た。

さあ。いざ行かん❗️

じいちゃんもまた
散りゆく腹をくくった翌日。

日本は降伏し
戦争は終わった。

すんでのところで
生き残ったじいちゃんは
復員して地元に戻り

溶接工として働きながら
家庭を持ち
そして一男一女。
2人の子どもにも恵まれたんだ。


戦争の話は一切することがなかったそう。
まるで何にもなかったように
穏やかに暮らしていたのだけれど。

でも息子さんには
一つだけ不思議なことがあったの。

それはじいちゃんが
ご飯のたびに
必ず二杯の味噌汁を飲むこと。

それがどうしても気になっていた
息子さんは
ある日。
こうじいちゃんに聞いたんだって。

「父さんは必ず味噌汁を
 おかわりするよね?
 そんなに味噌汁好きなの?」と。

すると。
たった一度だけ。
そのときだけ。
じいちゃんは息子さんに
特攻隊にいた頃のことを語ってくれたんだって。
そして。
散っていった隊長の話を
教えてくれたんだそう。

「俺が飲む二杯目の味噌汁は
 隊長の分だ。供養なんだ。」と。

この話を私に教えてくれた
喪主を務めた息子さんが
こう言葉を続けたの。

「ウチの親父が
特別凄い人だとは思わないけれど。

でもな。
この時代を生きた人は
やっぱり敬うべき人たちなんだと
俺は思うんだよ。

ウチの親父には
一つだけ名言があってな。

今の時代のモンたちは
一つだけ忘れていることがある。
日本人の幸せはな
家族で笑って白い飯を腹いっぱい
食えることなんだ。
それがありゃ あとは無くても
別に不幸じゃないんだよ。
だってな。散っていったモンたちは
そのちっちゃな幸せを
守るために、与えてやるためにって
命かけたんだからな。

ってさ。

俺たちはさ
みんなそんな人たちの
尊いしかばねの上に
立たせてもらってんだよな。

腹いっぱい
白い飯が食えて
家族がさ、笑って暮らせてる。

そう考えたらな
文句ばっかり言ってる訳にゃいかんて思わんか?」

身にしみる話だった。

新しい時代の中で
流れについていくのに
余りにも必死になりすぎて
後ろを振り返る余裕をなくすことがある。

でも息苦しくなったら
振り返ってみることも必要なんだと
教えられた気がしたんだ。

私たちは皆
先人たちが守ってくれた国で
白い飯を腹いっぱい食べられて
自由に笑って暮らせている。

文句ばかり
並べ立ててちゃいかんのよ。

今 手にある
戴いた幸せをしっかりと噛みしめて。

新しい時代を
生き抜いていこう。

あと何年
こんなお話を教えてもらえるんだろう?
戦争経験者は
みんな高齢。

いなくなってしまう前に
たくさん聞いておけたらいいな。と
心からそう思う。

語り継がなければならない
大事な回帰場所だから。













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