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過去の傷は、未来で出会う誰かの一部を理解する灯になり得る

…かもしれない。
思い上がりかもですが。
(なので、あくまで「一部を」と書きました)

印象深い出来事があり、またそこから思考が広がっています。

とあるイベントの開催後。
後日、アンケートを取り、感想などの集計をしていたら。

そのイベントに、やむない理由で参加出来なかったはずの方が
「参加できて、楽しかった。最高だった!」
といった内容を具体的に回答されていて、
「…え?」
と面食らいました。

「え、あれ?私の記憶違い?ひょっとして本当は参加できてたのかな??💦」

年齢とともに、いや、それもあんまり関係なく、
自分の記憶に自信がなく😅
また私のバグかなぁ😑と、
果たして自分が正常に稼働しているのか確かめるためにも、そのイベント関連の記録や資料を確認してみたら、、

やっぱり、その方は欠席されていました。

…むむ、これは、どう捉えたら良いのだ?
コメント難しいな。スルーすべきか、、
しばらく思案していたのですが。

そこから、不図、
「あれ、でも待って、もしかしたら、その気持ち、私も少しだけ解るかも」
と心に浮かび、それと同時に数十年前の引き出しが開きました。

🔷

『こうなったらいいのになと思ってたことを
幼稚園で絵に描いた

前からお友達になりたいなと思っているけど
ひとこともしゃべったことがない
同じクラスの憧れの子と
遊べて楽しかったっていう絵

先生に
「あら、これは何の絵?」
説明してって風に言われたけど
口ごもってた

だって
実際にはそんなことはなかった
平たく言えば
立派な嘘
お友達がちっともできない私の
ただの願望

そしてその子も同じ教室にいて
そのやりとりを見てたから、もしありのままを
話しても
「何言ってるの?」
「あんたと一緒に遊んだことなんて、ないんだけど」
「うそつき」
とか、変に思うだろうなって
ますますお友達になんて、なれなくなっちゃうって、どうしようって
うつむいて黙ってたら

痺れを切らした先生が

「しゃべれないのならお人形さんね、
 廊下に立ってなさい」

言われるままに
廊下に出て、立ってた

叶えたいけど叶わないことを
想像して描くのは
そしてその説明を拒むのは
そんなに悪いことなのかなぁと
思いながら。』

🔷

ああ、そうか
これは
今この人の感情の一部を
理解するためだったのかもしれない、と
妙に腑に落ちました。 

「本当は、すごく参加したかった。残念でしょうがなかった」
 
と、思ってくれていたのかもしれない。
だから、参加できていた自分を空想して書いてくれたのかもしれない。

…考え過ぎですかね😅
ええ、そうですよ。
私、今までいろんな人にため息をつかれながら
「…深く考え過ぎ。」
と言われてきているので、自覚はあります。

ただの勘違いかも。別の意図かも。
確かめようもない。
きっと重要事項ではない。
しかし、何だか気にかかる。引っかかる。

でも、ともすれば虚言癖と捉えられかねないけれど、敢えて想像した内容を書いてくれた。
ただの虚言癖と片付けてしまうには、違う気がしたんです。

ちょっと悩んで、
「また、ぜひやってみて下さいね」
的なコメントを隅っこに小さく書きました。

「あなたのそれ、もしかしたら私もちょっと解るかも」
って、ちっとも伝わってないだろうな。
でも、きっとそれでいい。
下手に踏み込んでしまうと、ただややこしくなるだけだ。

こんな感じで
目に見えなくても
言葉にしなくても
超絶わかりにくいやり方でも
ある種の愛のようなものを持って
寄り添ってくれている人は
すべての人に、きっといる。




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