伊藤ふみやは鉄鼠の檻であるという話

ボイスドラマコンテンツ「カリスマ」の正邪のカリスマ・伊藤ふみやについて、京極夏彦著『鉄鼠の檻』のとある登場人物を咀嚼することで、味わいが出るのではないかという試みです。



以下において『鉄鼠の檻』のネタバレが含まれます。

「とある登場人物」の個人名もその物語における立ち位置のネタバレも出ます。


1. 経緯

私は常々伊藤ふみやはかなり『鉄鼠の檻』の小坂了稔であると認識しており、何回かその話題をツイートしていました。

https://twitter.com/M4CH1K0/status/1655222368703479809?t=UWxFQQDgYublBikgYNW9ag&s=19


そして先日の夜、漫画版『鉄鼠の檻』の話がTLを騒がしたため漫画版を再読しました。

その結果がこれ。

豁然大悟しちゃったね♡

豁然大悟し"理解"ちゃったので、悟りの境地または魔境にて脳内に流れ込んできた内容を文字に起こします。

悟りが文字起こしできるわけはないので、これはおそらく魔境。


2. 小坂了稔の物語の立ち位置について

『鉄鼠の檻』における小坂了稔は物語においてこのような存在でした。

・明慧寺の主要なメンバーを集めた。

・そして彼らを明慧寺に引き止め続けた。

・明慧寺の資金繰りに関わっている。

・多種多様な宗派の坊主を明慧寺に集め、自分だけの箱庭を形成した。

・自分だけはその箱庭の内外を自由に行き来した。

・小坂了稔は道化師(トリックスター)である。


3. 伊藤ふみやの物語の立ち位置について

※この章には独自研究(もうそう)が含まれます。

・カリスマハウスに6人を集めた。

・6人が家を出ようとしたら引き留める可能性がある(独自研究)。

・カリスマハウスの運営資金に関わっている。

・多種多様なカリスマを家に集め、自分だけの箱庭を形成した(独自研究)。

・自分だけはその箱庭の内外を自由に行き来した。内側とはカリスマハウスの内部のこと、外側とは"我々"のことである。

・伊藤ふみや道化師(トリックスター)である(独自研究)。


どうでしょうか。

伊藤ふみやってかなり小坂了稔じゃありませんか?


4. 小坂了稔と明慧寺

・明慧寺とは小坂了稔によって作られた檻、箱庭、小宇宙である。

・中禅寺秋彦によって小坂了稔は禅における「無戒」と「脱他律的規範」を取り違えたと指摘されている。

・小坂了稔にとって明慧寺とは「他律的規範」の象徴である。

・小坂了稔は自分のためだけの宇宙を造り、そこから逸脱することで禅匠としての己を確立した。

・中禅寺秋彦によって「明慧寺の面々たちは小坂了稔の中で暮らしてきた」と指摘されている。


ここらへんを踏まえて見ていきます。


5. 伊藤ふみやとカリスマハウス

・カリスマハウスとは伊藤ふみやによって作られた檻、箱庭、小宇宙である。

・伊藤ふみやにとってカリスマハウスとは、自らを引き止めるための檻である。

・伊藤ふみやはカリスマハウスの内部に棲む一方で、"我々"に語りかけることで正邪のカリスマの位置を確立した。

・「伊藤ふみやは他のカリスマを内包する存在でもある」と認識する凡人もいる。


キますね。

キませんか?

気持ちいいね。

ほらご覧これが魔境だよ。

川の向こうに振り袖の少女が手を振ってるねぇ。


6. 小坂了稔と伊藤ふみやを重ね合わせることで見えてくるもの

私はここらへんについていつも答えがわからないと思っています。


・伊藤ふみやはなぜあの家を作ったのか?

・カリスマたちはなぜ歳を取らないのか?

・伊藤ふみやはなぜ正邪のカリスマなのか?


小坂了稔と伊藤ふみやを重ね合わせる手法により、これらについて"理解"った気がするのでそれを述べていきます。


・伊藤ふみやはなぜカリスマハウスを作ったのか?

ここでは小坂了稔を参照します。

小坂了稔はなぜ明慧寺という檻を作ったのか?→檻から出るため。檻から出るには檻を作る必要がある。

つまり、伊藤ふみやはいつかあの家を出るために、永遠の棲家ではなく「仮住まい」であるためにカリスマハウスを作ったのではないか。


・カリスマたちはなぜ歳を取らないのか?

カリスマという物語(ボイスドラマ)上において、カリスマたちは四季を過ごしている気配が見受けられますが、誕生日を祝うイベント自体は発生していません。

カリスマたちは物語中で歳を取っていません(2023年9月現在)。

ここでは小坂了稔を再び参照します。

小坂了稔によって作られた箱庭に追加された坊主たちにとって、時間の流れとはどういうものであったのか?

結論から言うと、彼らの時間は明慧寺に入山した時点で止まっています。

同様にカリスマたちは伊藤ふみやにカリスマハウスに呼ばれたときから、時間という檻に囚われた可能性はないでしょうか。


・伊藤ふみやはなぜ正邪のカリスマなのか?

凡人の皆さまが一度は思ったように、伊藤ふみや以外は一つの特性を極めたカリスマです。

一方で、伊藤ふみやは二つの性質を併せ持っています。

6人のカリスマは箱庭の中だけの存在なので、内側(精神世界)の在り方しかないのではないか。

伊藤ふみやは箱庭の内と外を行き来する存在なので、正邪両方を併せ持つのではないでしょうか。

正邪は対称的な概念ですが、正は限りなく内面的な概念(法律や規範で"これが正しい"と裁くことはできないので)、邪はかなり外面的な概念(法律や規範によって"これは悪である"と裁くことができるので)ではないかと思います。

つまり伊藤ふみやは箱庭の内側として正、箱庭の外側として邪の面を持っているのではないかと独自研究(もうそう)しています。

我々に語りかける伊藤ふみやは正邪どちらであるか――答えは明白ですよね。


【どうでもいい話】

中禅寺秋彦……待古庵……明慧寺……雪山密室……豁然大悟し"理解"った筆者……。

そうですね、天堂天彦(彦)と本橋依央利(庵)と猿川慧(慧)とテラ(寺)と湊大瀬(雪)と草薙理解(理解)を思い出しますね。

特に意味はないです。

思っただけ。