2018.11.23 箱根 京極夏彦・志水アキトークショー

2年越しで今更ですけどメモが出てきたので備忘録に。

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◆ルドンと水木しげる
「水木しげるさん知ってます?こないだ死んだんですけど(知ったんですけど、かもしれない)」
楳図かずお氏が創刊した(?)別冊ハイスピードのグラビアページ(当時は著作権がゆるゆるだった)に水木しげるが餓鬼草紙と伴に西洋絵画のドレ・ブリューゲル・ルドン(目玉の気球のやつ)を引用。
目玉おやじはルドンを知るより前に創られ、バックベアードの元ネタは(内藤)正敏氏ではという話なのでいずれもルドンからの着想とは言い辛い、というのが京極先生の水木しげる研究家としての主張。
水木先生はルドンからベタの塗り方、ドレから細密描写を学んだ、たぶん間違いないということ。


◆ルドンについて
ルドンは自然主義に相対する主義としての象徴主義(絵に描かれている物・モチーフ・構図にストーリーや意味がある)であると言われがちであるが、35分前(この時点でたしか開始10〜15分)に実際にルドンの絵を目にして、違うのでは?と思い至った。
一つのものに別の意味を与えて、それを組み合わせることで別の物語にするという点で、狂歌絵本の走りである鳥山石燕の画図百鬼夜行に近いのではと思ったらしい。


◆画図百鬼夜行について
全体として妖怪絵本であるが一つ一つの絵が複数の意味を持っている、記号の絵である。(鉄鼠もその例)
それは象徴主義に近いものである。


◆画図百鬼夜行と水木しげる
水木しげるは鳥山石燕の画図百鬼夜行に含まれる他の意味合いを捨て、"妖怪"として取り込んだ点で象徴主義の鳥山石燕の破壊者であり、自然主義者(在るんだからしょーがないじゃんという感じ)である。
「(水木先生は画図百鬼夜行をベースに妖怪を作ったという主張の妖怪研究の第一人者に対して)残念ながら水木研究者としてはまだ二流」


◆ルドンの目玉の気球について
リトグラフ集の「エドガー・ポーに」内の『眼は奇妙な気球のように無限へ向かう』では、怪奇小説家エドガー・アラン・ポーの小説の挿絵としてでなく、小説そのものを抽象化したあと具体化したのではないか?


◆柳田國男
ルドン・水木しげる・柳田國男は抽象化→具体化の手順を踏むという点で似ている面があるのではないか。
神話は一般的な象徴主義において絵画で表わされることがあるが、柳田國男は神話を自然主義的に抽象化して具体化した。その結果、怪談実話や民俗学が生まれたのでは?


◆志水先生の補足:
抽象化→具体化の例としては、「怖いイメージの父親」を昔ではそのまま「父親」としていたが、抽象化した後に具体性を高めることで「倒すべきモンスター」に変えること。漫画でよく使われる表現。


◆ルドンの目玉について
志:どの目玉も上を見て、観測者を気にしていない。漫画ではカメラ目線を意識し、こちらを見ろという主張があることが多い。観測者がいないのかもしれない。
京:「これだけで在る(ということですね)」誰かを意識していない。


◆水木しげるについて
水木しげるが大好きな絵はベックリンの「死の島」で、鬼太郎の「人食い島」では頭がそのまま「死の島」である妖怪(?)を出している。大好きだがその絵にどんな意味があるかという象徴的事象を無視して別の意味(=人食い島)に落とし込んでいる。


◆京極先生と志水先生について
志水先生は箱根に来たことがなく、今回がはじめての箱根。インターネットで資料も得ることが多いのでトレスしないよう注意している。
京「僕が一番心配してたのは坊主の描き分けですよ」「皆つるつる、つるつるしてるじゃないですか」
志「坊主は骨格でキャラ分けをしています」←まじですごい
おびただしい壷・数えきれないほどの招き猫・見上げるほどの本棚はアナログで描かれた。
京「(アシスタントさんがモブ坊主を描いてる件について)まあ坊主はね、描けば描くほど徳がつめるから」
京極先生はインターネットが無い時代に百鬼夜行シリーズの大半を書いたこともあり、脳内地図で書いているので、具体的な聖地(建物とか)は存在しない。仙郷楼もあるが、鉄鼠で仙石楼の名前を作ったときには知らなかった。
地形以外にも匣がどう開くのか?観音開きなのか?なども決めずに書いている。
京「だいたい忘れたか決めてないか考えてないか知らない」
志水先生:文章にはこうあるが、漫画的にこうしたほうがいいと思ったことは主にキャラ造形に出ている。絵にするとキャラ要素が被ってしまうときとか。


◆感想
志水先生の「絵にするとキャラ要素が被ってしまうときはキャラ造形を変える」の例ってもしかすると京極堂と益田龍一(髪が伸びた)では?髪型や細身なとこなど似てるし。益田って原作でそんなに八重歯で釣り目ひょろひょろでした?(といいつつ未確認)という気持ち。