信(再掲)

世界が色を失った。そう呼ぶに相応わしい景色と言えるのかもしれない。

屋敷の二階の窓から見える景色は、一面が雪に覆われ、室内は暖炉の熱気に適度な温度が保たれているが、外はジルバラードの今年1番の冷え込みになるだろうという話だ。

──櫻の樹の下には、死体が埋まっているから、美しいと語られた話がある。
──ならば冷酷に、その下に多くの死を覆い隠すから、雪景色は美しいのか。

氷の悪魔と呼ばれる少女、リリーは物憂げに、一面の銀世界を眺めている。
かつて彼女は、そう信じて疑わなかった。繊細な彫刻を愛するように、生命が凍り付き、花々が枯れていく、そんな頽廃美を同じ様に愛した……魔界の殺伐とした空気を吸って、日々を過ごしている時は。
しかし、ジルバラードで“救いの鍵の少年”の下に身を置いて、平穏な日々に安堵の息を吐いている内に、解らなくなってしまった事が幾つかあった。
得られた束の間の自由。自由に、思うままに、それこそが望みであったはずなのに、自由に自分の言動を振り返る時間が生まれたからこそ、生まれる疑念があった。

(わたくしは……正しかったのでしょうか……そして、これからも正しくいられるのでしょうか……?)

“美しい”とだけ感じていた氷の世界……最近は同時に、心の片隅に、解けない氷の様な、重く冷たい“何か”を感じる。

──かつて、自分はそんな世界の中で……。

「何かあったか?」

思想に耽っていたリリーの意識を、現実に呼び起こしたのは、聞き覚えのない声だった。
声の主は、隣で不思議そうな面持ちをして、リリーの顔を覗いていた。

「……あなたは?」

見覚えのない姿に、リリーは怪訝な面持ちで問い掛ける。

「一応、同じ主人の使い魔なのだがな……顔と名前くらいは憶えておくべきだぞ」

リリーに声を掛けた女性は、微笑みを浮かべながら言った……その笑顔に、どこか不敵さを感じさせるのは、生来のものか、それとも──。

「では、あなたの名前と用件を手短に」

リリーは、かつてジルバラードを襲撃し被害をもたらした……そして今も“救いの鍵の少年”と敵対している悪魔の、その一派だった。
“救いの鍵の少年”に協力し、共に魔物と戦う立場となっても、未だに敵視している者もいる。次世代の魔界に対抗しうる戦力を育てるジルオール魔法学園に力を貸す際にも、一種の拘束具を与えられ──疑念をぶつけられる立場にあり、今、声を掛けてきた者も、その手合いではないかと警戒しているのだ。

「私はネールエンデ。なぁに、そんなに警戒するな、大した用はないよ。ただ──」

リリーの心中を察した様に、ネールエンデはおどけた態度で肩を竦めた

「今にも泣き出しそうな顔をしている者を見過ごすほど、私は冷淡じゃないのさ」

リリーは、ハッとして自分の顔に手を当てた。そんな表情をしているなどと、思いもよらなかったのだ。

「い、いえ、別に、そんな事は」

全てを見透かされた様な心持ちになったせいか、誤魔化そうと咄嗟に出た言葉も、どこか要領を得なかった。

「……少し、私の話し相手になって貰えるか?」

──どこか、ダチュラ姉さんに似ている気がする。少し怖くて──
ネールエンデの誘いに、リリーは。
──わたくしより、大人な女性、という事なのでしょう──

「……解りました」
二つ返事で応じた。

「正直、まさか悪魔であるお前と、同じ主人の下で戦う事になるとは、思いもしなかった」

改めて始まった会話の開口一番、ネールエンデはそう言って静かに笑った。

「……どうして、わたくし達悪魔が、ここにいるのか不思議ですか?」

詮索しようとしているのだろう。ああ、結局はそうなのだろう。一瞬、自分が姉と呼ぶ存在に重ねて気を許し掛けた自分が恥ずかしい。

「ジルバラードに危害を加えたわたくし達が信頼出来ないのは解ります。全ての人々に信用してくれなんて、虫が良すぎる話だということも」

語気に刺々しさを孕んできたリリーの言い分に、
「ああ、いや、別にいいんだ。そういう話をしたかった訳じゃない」
ネールエンデはあっけらかんとそう返し、

「え?あ、はあ……」
リリーは拍子抜けしてしまった。

「私は腹の探り合いは好きではないんだ。それに、誰がどう疑おうとも、あの“少年”は、お前たちの事を信頼しているのだろう?」

──この人の真意が読めない。いや、そもそも、腹に一物を抱えて喋る様な人ではないのかもしれない。

「そうだと、嬉しいのですが」
だからリリーも、正直に答えることにした。

「そうだろうさ、そもそもあの“少年”は心が読めるのだから、腹の探り合いなんて通用しないだろうし──それに」

ネールエンデはまた笑った。今度は苦笑だろうか、
「私に、お前たちを責める資格なんて、無いのだから」
それは自嘲だった。

「資格が、無い?」
「ああ、私は──自分が信じるべき神を疑い、背いたのだから」
相変わらず笑っているはずのネールエンデは、どこか寂しそうで、どこか苛立ちを感じさせた。

「私は、闇の神殿に使える護衛だった」
そして、滔々と語り始めた。

「私は妖精の中でも他と比べて強い力を持って生まれた。その力を何の為に使うのか、なんて事は、物心ついた時に、非力な妖精たちが私を頼ってきたその時から、既に理解していた事だった。より多くの者を守る為に力を研鑽し、自ら進んで神殿の護衛を買って出るのは、当然の運命だったのさ。その方がより多くを守れると信じたからだ。
しかし、ある時、ヘカトニスに黒い魔力が充満し、神殿に魔物の大群が押し寄せてきた時に、心は変わった。祈れど願えど、神殿が祀っていた守護神とやらは、決して私たちを助けなかった。運良く、私は生き延びたが、犠牲になったものは少なくなかった。
だから私は、護衛の職を辞し、狩人となった──信じられるものは、己の力だけと。
あの“少年”に力を貸すと決めたのも、その方が都合が良かっただけの事なんだよ。あの“少年”が何者であろうとも、私の力をより効率的に使えれば良かった。言ってしまえば、あの“少年”は、利用するのに丁度良かっただけの話さ」

(──利用、する)

ネールエンデが、どういう意図で、明け透けに自分の心中を晒しているのか……それがどうあれ、リリーは自身の心中の全てを晒す訳にはいかない……それでも、その一言は、リリーの心に深く刺さった。

「結局は、己の他に信じるものなんて何も無い……そんな風に思っていたはずなのに、あの“少年”は、何というか、真っ直ぐに、私を信じてくれている……私の心中を理解してなお、だ。
ある時、あの“少年”は、かの“5人の乙女”が、ジルバラードを守護する神の片割れだと教えてくれた……そこには、ヘカトニスを守護している闇の守護神もいると。
私は……神を信じなくなった、といっても、それは神に救って貰おうとせずに、自分の力で自分を救おうと決意した、という意味で、決して神を恨んだりはしていない。
……と、自分では思っていた。
あの少女、ロザリーを前にした時、自分でも恐ろしくなる程に、恨み辛みが出てきたんだ『どうして救ってくれなかった』『犠牲になった仲間をどうしてくれる』と、次から次に。
ロザリーは、そんな私の泣き言を、ただ黙って聞いてくれた。そしてこう言ったんだ。
『言い訳もしないし、赦しも請わないわ。ただ、今までの“私を信じて”裏切られたと思うなら、これからの“私たちを信じて”欲しい、決して裏切らないから』と。
──恥ずかしい、と思った。
何が自分だけしか信じないだ。何が利用しているだ。誰か独りだけの力なんて、ちっぽけなものだと、知っていたはずなんだ。だから私も神に祈った。だから皆で助け合っているんだ……妖精も、人も、神も……きっと魔物も悪魔も、そうなんだろう。
私は、自分にとって都合の良いことだけを信じたかっただけだった……自分が苦しんでいる時だけ誰かに救って貰おうとして、誰かが苦しんでいる時に自分が助ける──誰かの苦しみを取り除くだけでなく、誰かと苦しみを分かち合う事を、本当の意味でしてこなかった。
だから、私は“少年”を“5人の乙女”を信じようと思ったんだ。皆の力になろうと、そう思った……いざとなれば、神をも救うほどに、強くなりたいと、な」

ここまで語ると、ネールエンデはバツが悪そうに頬を掻いた。

「私としたことが、お喋りが過ぎたな……どうも、丁度良い会話というものに不慣れでな。要するにだ、お前がどんな存在であろうと、あの“少年”がお前たちを信じてるなら、それでいいんだ。
どんなことがあっても、信じあえる友がいること、それは大切なことだ」

リリーは、ネールエンデの不敵な笑みの意味が、少し解った気がした。

(多分、単純に、この方は笑うのが苦手で……けど、わたくしの緊張を解いてくれようと、笑顔で接してくれていた……というのは、考え過ぎでしょうか)

「いえ、ありがとうございました。わたくしにも思い至る所のある話でしたから」
リリーも、精一杯の笑顔で返した。
──誰かを信じること、誰かに信じられること……胸の痛い話ではあるが。
ネールエンデは笑顔のリリーを見て、満足そうに首を縦に振った。

「ああ、お前の笑顔は可愛いよ」
「なっ!?か、可愛いなどと……!?」

どうにも、明け透けにそういう事を言われるのは照れてしまう。

「うん、やっぱりな、自分が生まれた日に、誰かが暗い顔をしてるのは、どうにも落ち着かないものだ」

「生まれた日?」

「ああ、そうだ。1つ、渡したい物があってな」

と、ネールエンデはどこからか小さな包みを取り出した。
それは、瓶に詰められたポプリだった。

「これは?」

リリーが呆気に取られてると、ネールエンデは照れ臭そうに笑う。

「本来、ユリはポプリに向かないものでな、あまり日持ちはしないだろうが」
「いえ、そうではなく」

ネールエンデはリリーに耳打ちする。

「……私の手作りだ。あまり知られたくない趣味だ。言いふらしてくれるなよ?」
「今日が、わたくしの誕生日だと知っていたんですか?」

そう聞かれると、ネールエンデは、

「私も今日、誕生日なんだ……奇妙な縁もあるものだな」
そう言ってはにかんだ。

「え?それはそうと知らず、わたくしも何か」

戸惑うリリーを尻目に、ネールエンデは満足気に立ち去ろうと歩を進め、
「来年、期待しているぞ」
手を振りながら去って行った。

「ハッピーバースデイ、リリー」

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